文学と宗教の結びつき、距離を取ったかのように見えながら代替図式を作っている状態というのはけっこう根深く、芸術に関する聖性や卓越性は宗教的儀礼の変形に見えるものが多すぎる。しかしそれも必ずしも欠点になるわけでもない。
近代における世俗化と政教分離によって、芸術は宗教と無縁になったということになっているが、芸術史の側だって新たな形で再導入されている状況を否認しているわけでもなく、むしろ脱魔術化という事実は本当にあったのか?ぐらいに言われそうな面がある。
むしろ作品が国家とポルノ産業に完全回収されないためには宗教のトポスが残っているのはフィクションにとってもバッファになるから、案外馬鹿にできないものだなあと芸術史を振り返ると思うものだが、そこを「カルト」と呼んで終わってるのも、いかにも教養がない。もっと両義性に踏み込まないと馬鹿にみられると思う。