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身体性センス美学vs(前者を根拠に区別される)概念・思弁はしばしば乱用される。
だが、この図式はもっとずらして考えることができるのだろう。

身体性は、単にキャパシティ問題なところがあって、「一定の情報や吟味の入出力を越えるとハングアップして悲鳴を上げる」ことと相関性がある。ハングアップしたときに再発見され見出される「ちょうどいい閾値」が身体性であって、それはもとから身体なのではない。

となると、スキル習得やその取捨選択や停滞と不可分なのであって、最初から身体があり、その上で身体を鍛えたり、その延長線上で何かを非身体的とみなす、という手続きがあるわけではないのではないか。

キャパシティ以外にありうるのは、認識し受容する手応えや自己感といった面か。それらに接続させる受容処理が不足していても同じことが起きそう。
身体性を根拠にした拒否反応は、つまるところ「それについて考える手かがりがわからない」の発露にすぎんのかも。

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