ART SINCE 1900の1931bについて先日、「シュルレアリスムグループはかなりボーイズクラブであったことが知られ、そのミソジニーも批判されて久しいわけだが、この項目が記すメンバーがブルトンからバタイユへの乗り換えるくだりを見る限り、ブルトンとバタイユでグループ内メンバーをとりあって「わからせ」を連発させるBL作品が生まれるとよいのではないか」と昨日はまとめたが、日本版の下敷きはこれでよさそう。
https://x.com/dilettantegenet/status/1805186606908772817?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
私の書き方だと根本的に説明不足だと気づいたが、1931bの項目はジョアンミロやブルトンからの離反派たちをリビドーや性的なモチーフから記述しているのだが、これらの「絵画の破壊、殺戮」といった記述は作品が相手だから人は気にしないが、人に向けられていたら即危うい話になる。
そこにボーイズクラブとしてのシュルレアリスムグループという要素を加えるなら(シュルに限らずこの頃のアヴァンギャルドグループはだいたいミソジニーが強い)、「リビドーについての分析は集団内の性的秩序にそのまま拡張できるのでは?」という話。
作品についての記述を集団内行動の記述と混淆させるなら、BLコンテンツにしてしまうのが手っ取り早い、という話。
つまり、この幕の内弁当的な、もとい文ストっぽい秩序はそのままBLコンテンツになるし、そも前世紀初頭のアヴァンギャルド集団は多くがセクシズム秩序が濃い。
いまはもう、そういう一周した見識に晒される時期だろう。