“バーク美学の一番深い表現はリルケのドゥイノ悲歌冒頭ですよ。
美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、
ここまではまだわれわれにも堪えられる。
われわれが美しきものを称讃するのは、
美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、
その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。
真理と美の狩人だった物理学者オッペンハイマーが、なんで本気になって核爆弾の開発にのめり込んだのか、その辺の機微、というか彼の魂の恐ろしい深淵が、彼がキノコ雲を目にした時つぶやいた古代インドの歌に、まさに表されている訳
https://twitter.com/Quantum_Zen/status/1777325894677483971 ”
浅田彰がオッペンハイマーに入れ込んでたのも、典型的に80-90年代の美学理論の崇高論の盛り上がりの延長にあったなあ。当時はウッディ&スタイナ・ヴァズルカの作品のオッペンハイマーがさらに控えているが。
アウシュヴィッツ論から逸らしてオッペンハイマーとマンハッタン計画でトポスを一つ作っていたのがあの頃の浅田のポイントか。
当時の崇高論を取り巻いてた状況については、前にざくっと書いた。
https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/records/2000347
坂本龍一「LIFE」のオッペンハイマー箇所(https://twitter.com/tkmttkmt/status/1774002594903699754?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w )のアイデアは、コンセプトアドバイザーやってた浅田彰だというのは前に話したことがある。
https://x.com/ttt_cellule/status/1774038609177583966?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
バークの崇高論も、反フランス革命主義者としての右派政治とセットで考えざるをえないものであるのだから、この種の耽美性は厨二病からの右翼化の揺籠担っている側面も考えられる。