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しかし地震被災するといろいろ考え方が変わるというやつ、本当にありますね。被災が軽くてもあるんだなというのが今回よくわかった。むしろ、自分の被害が軽かったこと、被害が重かった人らの境遇をリアルにわからないことについて、考える機会が増える。

これが13年前に、東日本に住む人たちに生じた経験か〜という感じ。

被害が軽かった自分としては、当初は「自分の被害は大したことないな〜」という認識で一旦止まって、自分以外のことを考えられないような硬直、麻痺がまず起こりやすかった。
その麻痺を解除しようとすると、苦しみへの共感性を一気に引き上げることになる。

そういう綱引きや諸作用の総和として、考え方の全体がわりと変形する。視野の狭窄と拡大が両方とも活性化するというかなあ。そういうのが交互に来る。

たまたま自分は大晦日に膝を捻挫して、痛みが長引き、先々週ぐらいには膝を庇って腰を痛めて、膝と腰の状態から不安とストレスが高まっていたんだけど、地震とは何も関係がない不調であるにもかかわらず、まるで地震と呼応しているような不安として感じられる、という奇妙な状態に陥った。

遅延した被災みたいに、勝手に体が苦しんでる、といった疑似的因果性として感じられてしまう。なんだこの精神分析的な現れは、と困惑。

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