フォロー

ジェイのミメーシス論まとめ(ついでにアドルノ/ラクーラバルト論)である「ミメーシスとミメーシス論」(『文化の意味論』)では、90年代当時のアドルノ研究成果を生かしたアドルノ像が登場し、それとラクーラバルトの仕事が突き合わされる。
ここでのアドルノ言及はいろいろ示唆的で、「ドゥルーズの理論的ポテンシャルに比べるとドゥルーズ自身の芸術ジャッジが保守的に見える案件」はアドルノとそのポテンシャルでも同様だったと気付かされる。つまり、ドゥルーズを、プルーストでゴダールでストローブユイレでベーコンの人と見ると、なんか古い文化趣味に見えるんだけど、理論的にはむしろその後のフェイズで捉えうる感じが、アドルノ解釈でも起きてたんだなと。

アドルノは、ベケット褒めて映画やラジオでハイモダニズムやるぞ~、が本意なのに、あらゆる芸術を殲滅するアウシュヴィッツ絶対化おじさんみたいなきわめて保守的なイメージが現在蔓延している。
だが、ジェイの示唆するアドルノからは、彼のミメーシスこだわりからでも映画分析へのコミットもありえたはずだし、彼の文化の真正性への敵意からは、シミュラクル万歳のコースもありえたと読める。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。