児童文学とか絵本における「傲岸不遜のおもしろさ」って何かいい概説あるのだろうか。

傲岸不遜であることをとりあえず挫く系統が褒められそう。その反動で、傲岸不遜でいいじゃんも起きそう。90年代ラノベって傲岸不遜キャラで引っ張ってるの多いわと気づいた

フィクションは「主体の確立」をうながすべきの理念が発動しそう。だとすると、漱石の個人主義把握と坊っちゃん的頑固者表象が連続していると見なせるな

フォロー

デカルト愛好とかウィトゲンシュタインの奇矯性愛好者とか、小泉義之とか永井均とかはいわば「哲学的人物」表象の系譜だが、これらはほとんど「主体の確立」文学、つまりビルドゥングスロマンの派生なんだろう。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。