「奴隷や使用人への支配と独立」の問いのくだりで結構腑に落ちた。最近の海外ドラマで描かれる範囲に絞っても、西洋コンテンツでのAIの描かれ方は意思を保つ機械に対する恐怖感が通奏低音のように見られるので。つまりそれは奴隷というかつて道具とみなしていた存在の自律の反乱に対する恐怖感が置き換わったものなのだと。

そう考えるとこの話ってフェミニズムや民族の独立や権利獲得と、それに対するバックラッシュのストーリーにも通じそう。そんなに詳しくないけど、SFでそれらがどう描かれてきたのかもう一度見ておいた方がいいかもしれない。
そして日本は確かにあらゆる問題が脱臭されるので、前述の問題に対峙してきた国とはAIに対する捉え方や開発において、そもそも足場にしている思想が違うのだと思う。従って「アニミズム的な思想や機械に対する友好的でポジティブな見方を持ってAIに対峙している日本こそが、西洋のそれを凌駕するAIを開発し得る」と無邪気に信じることは結構危ないことなのかもしれない。

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@mikeneko301_2022 SFだと、ルグウィンとオクタビアバトラーを初手から据える、アメリカ内エスニシティや移民書き手の参入の歴史把握があるんだけど(スクリブナーのSF項目なんかもそんな感じだから、アメリカの大卒人文層の共通教養と思われる)、日本だと「ルグウィンって頭でっかちでダメだよね〜」がこともあろうに国内女性ファンタジー作家の口から出てしまうくらいの保守性が岩盤みたいにある。

@mikeneko301_2022 こういうの。
『スクリブナー思想史大事典 普及版』第04巻の「サイエンス・フィクション」

わざわざコピーまでありがとうございます!ここから辿って色々調べられそう。

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