男性向け作品、女性向け作品関する政治要素のクライテリアって言語化されないから、めちゃくちゃな状態で放置されてるんだろうな。
漠然と性的客体化よくない、みたいなコードだけがあって、じゃあ男性向けソフトポルノ~実質ポルノ、女性向けソフトポルノ~実質ポルノに関して総合的にどう考えるか?という問いになるとポカーンとなるか、きわめて雑な「全部追認」になったりする。
こういう作品について「作者の問題発言で炎上」あるいは「インフルエンサーがやり玉にあげる」で浮上しないと判断対象にできない人が山ほどいるんだろう。
作品読解のための材料が全然整備されず、週刊誌ジャーナリズムスキルだけが膨張している。
保守女性作法フェチみたいなのマジで苦手なんだけど、みたいな問いも、「わかりやすい倫理的是非トピック」じゃないから埒外にされがち。
日本社会の規範性に加担しうる、民衆内におけるイデオロギーそのものなんだが…。
2,30年前の脱政治モードを叩くのを世代的身振りとして習得している人は山ほどいるが、「はい、それは個人の趣味」という脱政治身振りには腰まで浸かった人が多いんだろう。
問題は、こうなってくると、どこまで言語化してどこまで問題提起的にやるべきかの加減を見極めにくいこと。
スピとオカルトとファンタジーの識別それぞれの見直しにしても、当然政治的ポテンシャルの検討になるが、どこまで言語化するとキレられ、どこまで暗黙に処理すると呆然とされるのか、難しい