葬儀のため10年前のフォーマルに袖を通したらサイズが完全にお手上げ。午前10時にスーツセレクトに駆け込んで10時30分までに揃えてもらい、11時から列席した。店員さんには感謝しかない。

教会の葬儀は故人の略歴紹介から聖書の引用、親族との歓談まで一人何役もこなす牧師さんにも敬服したが、オルガンの前奏を聴くだけであらゆる讃美歌を歌い出せる皆さんにも驚いた。
仏教も熱心にやろうと思えば違うのだろうけど、身のまわりではあまりに世俗化している。

教会の葬儀の故人が間違いなく天国に行くという雰囲気はどこから来るのだろう。浄土真宗も冥福を祈らない(全員往生する)、塩を撒かない(死を穢れと考えない)が、やはり切実さが残ってしまう。

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アニメの『フランダースの犬』の最終回は泣ける名場面だと思われているが、あの悲しみと喜びの渾然一体となった感じはキリスト教の葬儀そのものだった。

キリスト教は不信心者に厳しいが、浄土真宗は全員何とかなりそうな印象が一見頼りなげに感じるのだろうか。懐が深いとも言えるのだが。

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