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エンゲルバート博士の持論は「自然なものなど存在せず、自然なものというのは単に慣れ親しんでいるものにすぎない」というもので、マウスは不自然なデバイスである。

人工物という時点で不自然であるともとれるわけで、現在のより自然にしようというムーブと照らし合わせるとなかなか皮肉っぽくも感じるよね

マウスの発明はダグラス・エンゲルバートによって1967年につくられたのだけど、最初は箱型のローラ内蔵式なのだが、中身は変わったもののその姿は殆ど変わっていないのが、興味深いよね

なにかしらの理由でいわば上位互換は生まれなかったわけだ

子供の頃、ボール型のマウスをみて「なんだこのクソダサい代物は」と思ったことを思い出した

お子さんがA3コピー用紙を出してきて何をするかと思ったら、素因数分解への理解を紙芝居形式にしはじめ、披露されるなど

この実装どうすっかなーと思いながら寝たら思いつくので、昼寝の時間も業務にしていただきたく

情報社会のユニバーサルデザイン「第14回 雇用におけるユニバーサルデザイン」をみた

いろんな人の話を聞くのは大事だなとつくづく思うなどした。無理解や無関心のおおもとは知らないだな……というのを省みるなどする

紙の辞書が買えなくなる時代が来るかもしれないから少しでも集めとくかな……と思って気づいたのだが、ある声優さんが昔のゲーム集めてるのとやってることにさほど変わりはないな……?となり、ジャンルは違えど友を見つけた気持ちになるなど

ヒューマンインタフェース「第14回 セキュリティとインタフェース」をみた

人間とコンピュータの根本的な相性の悪さとの格闘がずっと続いている。どの角度からでもコンピュータを扱うのは難しいんだなと思ったけど、そもそものコンピュータと人間の関係の捉え方を変えて見てみたほうが思考としては面白くなりそう

取り組み方をいろいろ試してみてるが、45分の放送教材(OP, EDがあるので実際はもう少し短い)を例えば10分ずつつまり4回に分けて見る、とかだと気持ち的な負担や実時間的な負担がだいぶ軽い気がする
切りよく見出しごととかだっていい

操作的意味論と表示的意味論のところで「はあっ?」ってなるやつ、本読んでると時々あるよねと思って、わたしだけじゃないんやと思って安心したw(そこ?)

【大いなる罠】プログラミング言語の意味論を勉強したら7時間がムダになった#127 youtube.com/watch?si=IimNtQavx

デザインも情報も、母国語で考え伝えることができなければお話にならないわけだけど、そういった面はどうなっているのだろうか

自分の子供を見ていれば少なくとも「自分の時よりはマシ」ではあるけどね。

図書室は鍵かかってたし、国語も英語も文法という言葉が出てきたのは高校からだったしなあ(文法ナニソレだったため、グラマーの意味すらわからずなんで英語2科目あんの?レベルだった)

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情報デザイン「第14回 情報デザインの教育」をみた

この科目の、◯◯博物館に行ってきた、◯◯展におじゃましました回はホント眼福至福

この国には資源がないから教育が重要で、情報教育もデザイン教育も喫緊であると思うが、専門教育ではなく基礎教育として今教えることにしたということは、身の回りに普通にあるものになるのは今の子供らが大人になってからかあ〜人間時間としては長いね。でもそんなもんか

印刷教材、今週分の下読み終わりー(第14回)

結局、美容院を予約する気持ちに一切なれなかったので自分で切ってスッキリー

個人に向いてる生き方をさせてほしいのに、冗長性のある設計の理解は難しいし、統制という点でやりにくいので多くはわかりやすい型にはめようとする結果生きにくい気がする

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