youtubeもTwitterも、(tumblrも?)金になるやらならんやら分からない、ただただ新しいプラットフォームとして始まった。で、そういうのがより大きなテック企業に買収され、収益をあげるために広告に埋め尽くされていく、という流れがもうパターン化されすぎてて、なんら未来が感じられない。
シリコンバレーには、将来的な身売りを目的として「いかに目立つか」だけに特化した価値やら事業実態があるかどうかわけが分からないスタートアップがいっぱいあると聞いたことがあるし、かのセラノスはその最たるものだったんだろう。株価を中心にビジネスを考えるモデルを考え直した方がよいのではないだらうか?

米スタバが自社株買って株価支えたという地獄のようなニュース見て、おお、株とかよく分からんけど、もはや大企業って株主の方しか見てねえな! いや、株主のご機嫌伺いしないとやってけないのか! なんかもう働くイヤになるだろうな、スタバの末端の人たち。

……と思ってたら自社株買って一時停止とのこと。従業員怒ってるなあ。

jp.reuters.com/article/starbuc

結局は自由にやってきたいのだな、自分は。
批判されんのヤダ。

いや、批判されんのがヤダなのではなく、
「自分は批判されると怒るくせに人のこと批判するばかりの人々と付き合うのがヤダ」

エルギンマーブルっつったら、元の着彩を剥がしちゃった暴挙のことが思い浮かぶな……。まあ、日本の茶の湯とかでも掛け軸を切るとかしてるし、源氏物語絵巻を切り分けちゃったのは明治の富豪たちだっけ? そういうのも美的感覚としてはアリなのかな?どうなのかな?

自分とは違う意見を言われることに対し、いつでも受け入れる準備しておくってことは大事だと思うのだ。
それと、自分と異なる意見を持つ相手への敬意。

とにかく現在、「敵」をつくってその敵の言うことならなんでも否定するような論調が多くて、つまらない。議論が発展しないんだもん。

とりあえず敬意から始めよう。
敬意さえ持てば、目の前の相手の言うことをとりあえずきちんと聞く気になるでしょ?

まあ、結局は政治というのは「弱者をどうするか?」がテーマになるのだと思う。

弱者層が固定化されると不穏な層、不穏な地区が生まれるし、それが差別を生み……という負のスパイラルになる。

貧富の格差の是正をすれば、それに伴って大抵の問題は自然消滅するのでは?と思うのだ。

ニーチェは言う
「汝は誰をば悪と呼ぶか?
侮辱する者を」

ニーチェに悪と呼ばせるのだから、侮辱というのは本当に酷い行為なのだ。

「人口が300万人の時に独立を果たすより、人口が3000万人の時に分裂を阻止したほうが偉大なのだ」とは、南北戦争期の黒人活動家フレデリック・ダグラスがリンカン大統領を称えて述べた言葉。
ダグラスは、そしてリンカンは、人口3億2千万人の現在に分裂の危機にあるアメリカ合衆国をどう思うだろう?

おそらく合衆国の識者たちの中には今の分断の時にリンカンを思い出す人もいるのではないか。

乃木が旅順陥落後に敗将に示した態度、すなわち彼らを侮辱することのないよう、報道写真の撮影をいったん控えさせたこと、日本海海戦ののちロジェストウェンスキーを見舞った東郷元帥の態度は、世界に感動を与え、また日本人の美質を知らしめたと思う。
南北戦争の勝利において、敵将を辱めず、「畑を耕すために必要だろうから」と馬を取り上げなかったリンカン、グラント将軍に通じるものがある。

乃木希典か。。
えーと福田和也が人格を尊敬していたな。
その本を読んで、なるほどと納得させられた。
軍人としての能力ではなく、潔さや敗者に対する態度など、彼の人格が政治として日本という国家に資するものがあった、という論調だった。明治帝は乃木の人柄を愛されたという。また、昭和天皇が幼少期、乃木が校長を務めた学習院に学び、その薫陶を受けたというのは有名な話。

ただし、乃木本人は神社に祀られるということを嫌うのではないだろうか? それもかなり。。

トミー さんがブースト

記者会見に参加しました。結構本気で民主主義の危機だと思っています。
というのも、学術会議法を第三者による会員推薦や政府による任命拒否が可能になる方向で変えてしまう提案が今、なされているわけですが、これが通ってしまうと憲法23条「学問の自由」が主観法および客観法としてフルに効いていた組織がなくなるからです。
無論、それで人々が日常の不便を感じるレベルにはすぐにはならないでしょう。しかし、自民党のみの提案を入れた今の方針の提案が通ってしまったら、民主主義が損なわれないようにするための安全装置は確実に一つ消えます。
mainichi.jp/articles/20221227/

トミー さんがブースト

スラップ訴訟
(世耕弘成さんは)安倍さんと旧統一教会との関係は事件が起きるまで知らなかったと。
鈴木エイト氏「準備書面、そもそも全く読んでないなんてあり得ない。中野さんを訴えた理由の中に『こういう団体と関係性があると指摘される事は自分の社会的評価を下げる』と。じゃあ安倍さんとかどうなるの?全く知らなかったって、あそこまでぬけぬけと言ってしまえる世耕さんてすごい」
youtube.com/live/qpCgAOcUbmI?f

トミー さんがブースト

Twitterの怖いところは、「つぶやき」と思ってしまうと「退行」したくなるところだろう。つまり個人的なことや子供っぽい冗談など言いたくなってしまうということ。親しいアカウントがいくつかできればなおさら。

しかしTwitterは(Mastodonも)実は天下の公道、世界中からアクセスできるインターネットなのでヤバいことは言えないのである。むしろ「思考流出」を恐れるくらいがいい。相当覚悟を決めて「さえずる」こと。

うう…ヴァンデルポストの処女作『ある国にて』をまた読みたくなったが、メモとか全然取ってないし、もちろん本を持ってもいない……。
なんか、主人公が、社会主義活動に誘われるんだけど、農場に戻っていくくだりにすごく共感したんだよな。。

飴屋法水は彼の優れた哲学的書物『君は動物も暮らせるか?』で、お金とは何であるかをその始原に遡って考察している。自分の得意なこと、余剰にもっているものを、自分が持たないもの、欲しいものと交換するための便宜上の媒介がお金なのだ、と。物々交換の媒介としてのお金である。
ただ、やがてお金が"資本"に変わる。「お金がお金を生み出す」ということを資本という。この段階では、もはやお金が労力や才能、余剰品の代替ではなくなる。お金のためにお金を増やす、ということが行われる。

効率化を推し進めると、その先には非人間的な戦争しかない。第一次大戦から第二次大戦にかけて、戦争があきらかに非人間的なものとなってしまったことを、多くの人が気づいてしまった。もはや英雄的な死は存在せず、死者は数でしか、それも膨大な数としてしか測られない。たとえば1人の死と数万の死とを比べるのは愚かだが、効率化の観点からは比較せざるを得ない。

資本主義はお金の戦場。
「稼いだ奴が偉い」の無法地帯なので、たとえば中小企業ではとくに、社長が一番偉くて稼ぐやつほど地位が高くなるという弱肉強食の世界となる。一歩会社を出れば偉いもへったくれもないのだが。

Facebookの「知り合いかも」欄にLINEつながりしかない人々が表示され始めたのでLINEが Facebookに情報売ったんじゃないかと疑っている。

Facebookの「知り合いかも」欄にmixiつながりしかない人々が表示され始めたのでmixiが Facebookに情報売ったんじゃないかと疑っている。

松下幸之助といえば、タクシー乗ったときに連れに「この駅の周りはみんなわたしの土地なんです」と言って、さすが松下幸之助!と思われたけど、すぐに「嘘ですけど」と言って、「でも自分のものだと思えば、大切にしようと思うでしょ?」と言ったという話が好き。
これは公共性をどう考えるか?という話だと思う。自分のものでないものにも公共性がある、ということ。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。