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だから電子教科書は……うーん……どうかな……みたいな感じがある。

全体を見渡すときには一覧性のあるテキストの方が使いやすい。

普通であれば「起こらない」何かを「起こす」というところではないか?(つまり奇跡ということだけど、奇跡はよいこととは限らない)
そのことが「起こる」ことによって、何かが「転倒」したりしなかったりするんだけど、それは何か? という軸で読むとファンタジーがよく読めるのかなあ、どうかなあ。

やはり『ファンタジーの文法』に帰るしかないのか。
calil.jp/book/4480024816

ファンタジーのツールとして「スイッチ/色彩語」とかって、どっちかというとファンタジーをファンタジーらしくする仕掛けであって、なんか根本がもっとあるような気がするんだけど(もやもや)

よいかよくないか、という軸で考えるのが馴染まないかなあ、という気はするけど、一方で、馴染まないから機能する、とも言えるのかもしれない(もやもや)

読後感って、議論したらもうなくなってる(変質してる)もの、という印象がある。

日常生活では「他の人の(時に権威的な)解釈」に出会うことはたくさんあるので、そういったものにどう接していくのか、ということは学習の中に意図的に汲み入れていく必要はあるのかな、とは思う。

登場人物が抱えている「問題」があり、その「解消」としてのエピソードになっているかどうか、という読み方はしてるのかもしれないな。

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文学的文章を読むときの方略として、起こった出来事について、それが登場人物にとって「よい/わるい」という軸で考える、という方法を取るかどうか。

サバイバーズギルトみたいなところが背後にある話かな、とは思う。それを普段は封じているんだけど、誘われてフタが開いてしまう(だから、最初に「引き返すんだ」という呼びかけがある)

しかし、物語の歴史として考えたときに「ファンタジー」という概念が入る前から、ファンタジーは語られていたわけで、なんかファンタジーよくわかんないな。

とすると、そのような「光を当てる」機能の中のひとつの選択肢が「ファンタジーとして語る」ことであり、それ以外にも語りの選択肢はあるということになるのだろうか。

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でも、それはファンタジーではなくても多くの物語に共通する構造では?(それはそう)

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ファンタジーは(それなりに普遍的に)日常生活の中で隠されている「何か」に光を当てる、という機能を持っている、と言えるだろうか?

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もうちょっと考えると、「ファンタジーのひみつ」がわかると何が嬉しいのかなあ。

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「ファンタジーのひみつ」って何なのかなあ。

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