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読者としてのアイデンティティを自分がどこで得たか、ということを振り返ってみると、(市立や子供会運営の)図書館を使い始めたことが大きかったんじゃないかとは思う。自由に読みたい本が借りられるということ。

読み手/書き手というアイデンティティ(?)を人はどのように得るのか、ということ。

ところで今話している「読書」の対象は、いわゆる「本」に限定される話なのだろうか。

理屈上、文字の上に貼らなければよい、という話になりそうだけど、どうなんだろうか。

【大学図書館からのお願い】図書館の本には絶対に付箋を貼らないでください。文字が取れてしまいます。
togetter.com/li/1632446

いつの間にか本に付箋を貼ることが「(比較的)悪い」ことになってしまったのは、なんか本末転倒だなあ、という気はしないでもない(もちろん、本を保護するためというのはわかるんだけど)

考え込んだ結果ホワイトボードから読み取れるものがなく、「成果物」はないという状態について。

本のタイトルを集めて五行詩を作るという実践。

「(興味もないのに)なんでこんなに難しい文章を読まないといけないのか」という高校生の声。

「「あなたがつくる、読書案内」――ご好評をいただいた、岩波新書フェア連動企画「芋づる式!読書MAP」。自分でもMAPを作ってみたい、という声に応え、書名の入っていない白地図版を用意いたしました。」
iwanami.co.jp/news/n32672.html

「読書指導」とは何か、という問い。

編集の過程自体が言語活動のようだ(本当は逆だけど)

ノンフィクションのアンソロジー自体がそもそも少ないとは言えるだろうか。

どうもゲーム実況ユニットがいるみたいだけど、それが原因ではなさそうだが……。

「他動詞の世界の前に、自動詞の世界があるのではないか。」

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