アムステルダムで開催されたサッカーの試合に、イスラエルチームのファンらが多く観戦の為に到着。一部のイスラエル人のフーリガンら(素行が横暴なサッカーファン)が、パレスチナ支援の旗などを焼いたり、ジェノサイド支持のスローガンを叫んだり、何十人もでジェノサイドを鼓舞する歌を歌うわ、試合前にスペインの洪水被害者の為の黙祷も無視する乱行ぶり。怒ったパレスチナを支援する若者らが反撃。
ところが西側大手メディアは、これを「アムステルダムでの反ユダヤ人差別の攻撃」と報道。で、今度はユダヤ系の人たちがSNSで、「Pogromの再来。やはり、ヨーロッパは反ユダヤ主義が跋扈していて、怖くて歩けない」などというコメントを書き、シェアして広がる展開に。イスラエル人は逮捕されず、なぜかパレスチナ支持者が逮捕される状況。
ジェノサイドという大罪を犯す側が被害者で、殺される側が加害者という歪みきった世界に住んでいることが耐え難い。
こんなの見たくない人もいるだろうと内心思いながら、あまりにも残酷なパレスチナ/ガザの大虐殺とどう向き合えばいいのかまったく分からず、ただ見るためだけにニュースを追い、見ていることを自分で認めるためだけに、地獄と化した当地の人々の絵を毎日15分ほどと決めて描きはじめた。これがニンゲンの所業なのか(!)と絶句しながら。そうこうしているうちにレバノンとかも…
当初はある程度の枚数になったら薄いZineにでもして、友人の書店やバーにでも置いてもらって、多少でも売り上げがあるようならそれを #国境なき医師団 とかに寄付しようとか考えていた。でも毎日が忙しすぎてZineの編集とかとてもじゃないけど手が回らず、結局ただただアホのように毎日描くだけ描いているという状況。際限なく、ひと月を超えたあたりからいつまで続ければ良いのかさっぱり分からなくなってしまった。止めどきなんて自分で勝手に決めればいいのだが、虐殺は一向に止まず、日々日々新たな惨状が出現し続け、ぶっちゃけもうどうすりゃいいのか分かっていない。
友人のZine職人にも頼みづらいし、どうしたものか。はやく虐殺をやめてくれ。#CeaseFireNow アンド #StopGenoside
ニンゲンってなんなのか?
https://fedibird.com/web/statuses/113270702973661584
性犯罪者と家父長制おじさんの😃をデカデカとサムネに映すのやめてくれ、しんどい!コンテンツワーニング必要な気がしてきた
⚠️🐈️できる人アクション できるひと あくしよん
夕方にやってみる
歌とアコギの練習 作業や休憩のおともにどうぞ
#歌ってみた #弾き語り https://twitcasting.tv/g:110312908539707872256
これを謝罪したと表記してはいけない。
#謝罪風の謝罪 #NonApologyAporogy
日本保守党・百田尚樹代表、物議かもした発言に言及「不快に思われた人に謝罪します」― スポニチ Sponichi Annex 芸能 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/11/10/kiji/20241110s00041000224000c.html
署名しました。
今なら止められるSTOP!深海採掘 https://act.greenpeace.org/page/157397/petition/1
賛同しました。
今なら止められるSTOP!深海採掘
https://act.greenpeace.org/page/157397/petition/1
#深海採掘 #海洋保護区
「たとえ話」や「SFの想定」が、現実世界を考える手掛かりとなるためには、それが現実とどのように似ていて、どのように違っているのかを、丁寧に考える必要がある。
そうでなければ、そうした「たとえ」を利用する意味はない。
今回の百田(日本保守党党首)の発言が恐ろしいのは、その「現実との距離感」についての氏の認識が、おそろしく差別的である点にある。
私たちの社会は ”国家の繁栄” にとって「都合のよい」生殖を推奨・強要し、「都合の悪い」生殖を抑制・禁止してきた。そして、そうした政治によって被害を受けてきた最大の集団は、妊娠・出産する能力をもつ(とされる)うえに、子育てまで期待される、女性たちだ。
実際問題、私たちの社会にはいまだに刑法堕胎罪があり、中絶には配偶者の同意が求められ、性教育は妨害され続けている。これはSFではない、現実だ。
「30過ぎたら子宮摘出」発言は、これらの現実とあまりにも連続しているし、百田もそれは分かっている。分かったうえで、女性やマイノリティのSRHRを踏みにじって構わないと思っているから、このような「たとえ」によって現実を考えようとする。そのことこそが、問題。
国家による生殖の管理としては、戦中の「産めよ殖やせよ」がよく言及されるけれど、戦後においても、生殖の支配は苛烈でありつづけた。
敗戦後、人口爆発による飢餓と貧困を恐れる指導者層にとっての懸念は「逆淘汰」だった。本来は淘汰されるべき「劣った人口」が増加してしまい、残るべき「優れた人口」の割合を圧倒するという懸念。―-信じられないほど差別的だけれど、優生思想とはそのようなもの。 この「逆淘汰」を防ぐためにできたのが、優生保護法(1948~1996)。
優生保護法は2つの役目を果たした。
1つ目。「不良な子孫」とされる(障害のある)人たちの生殖能力を合法的に奪うこと。これは強制不妊手術問題として知られており、今年やっと(!)最高裁で賠償判断が下され、賠償法ができた。
2つ目は、中絶を可能にしたこと。刑法堕胎罪によって、中絶を原則として犯罪化しつつ、「犯罪の例外」として、条件付きでの中絶を可能にした。その目的は、女性の健康や権利を守るためではない。貧困層の増大を防ぎ、「逆淘汰」を食い止めるためだ。
これは「SF」ではない。現実。百田の発言の怖さは、それが十分に「SF的」でないことにある。
ちなみに優生保護法は、 「子宮をとる」 ことを禁止していた。現在の母体保護法でもそうだ。かつての優生学的な理由に基づく不妊化にあたっても、そこまでの侵襲は認められていない。しかし、本人の自主的なニーズ(医学的理由含む)には基づかないかたちで「子宮をとる」 ことが求められ、実行されてきた集団もある。
ひとつは(女性)障害者。優生保護法では禁止されていた子宮摘出が、施設に入所するための条件などとして、慣例的に広い範囲で行われてきた歴史がある(ただしそれについては当事者の間でも様々な語りがある)。生理の介助が面倒であるという、介助者側の理由がおもな理由。
もうひとつは、戸籍の表記を「男性」に変更するトランスジェンダー/性同一性障害の人たち。法律では「永続的な不妊状態」が要請されているところ、これも慣例として、卵巣と子宮をともに除く手術を、少なくない当事者が 法の求めとして受けてきた。理由は、「男が出産すると法の秩序が混乱するから」。
百田の発言は、まぎれもなく女性差別的だけれど、子宮をもつ身体の人たちのあいだでも、置かれてきた状況や、受けてきた被害が違うということは、忘れるべきではない。
選択的夫婦別姓は導入しても不要な人には関係ないというのは嘘で、導入したら現時点で届出をしていないカップルが届出できるようになるし、そうすると結婚はふたりの人生の問題であって、家の問題ではないという憲法の理念に近づける。女の子が生まれた時に「残念」とかいうよからぬ親戚もいなくなる。どんなにいい人でも、子どもが生まれた時に「残念」と言ってしまう地獄を生きさせられるのは、制度の罪だ。それがひとつほどける。その積み重ねで社会はいつか変わる。ついでに、「靨さん」のような珍しい苗字も存続の可能性が出てくる。
この厳しい社会を生き抜くうえで、「そもそも家が地獄」という事態の解きほぐしに繋がる。今すぐ整備してほしい。
✕背に腹は代えられない
◯俺の私腹が肥やせない
🖕
https://www.asahi.com/articles/ASSCB2T36SCBPITB006M.html
tikkyの果て。性別ないクィア🏳️🌈they / them
歌います
https://lit.link/tikkykoe
#TransRightsAreHumanRights
#FreePalestine
#CeasefireNow