令和と昭和の両方で生活してきた両キャラクターが、自分の時代に帰って、最初は自分の時代に疑問もなにも感じなく、互いの時代にに「ひどい」と思っていたけれど、言うほど酷くない部分もあったし、自分の時代にも問題あった
どうやら寛容にやっていくしかないな
甘えていいって言ってんじゃねぇよ、互いに寛容に、互いに大目にみるしかねぇよ
って、別になんも間違ってなさそうだけど、文句いうひとは
「クドカンが!おじさんの立場で寛容にやっていこうって言った!」
って思ってるみたいね
ドラマの流れとか、どのキャラがなにを体験して言ったセリフかとか、そーゆーのガン無視して「クドカンのドラマで、クドカンがこーゆーセリフ書いたのでダメ!」みたいな
一部分切り取って騒いでる感じ
これが2054年から見たら、2024年も不適切って仕掛けと相俟って、一部分切り取っても仕方ないよ、に繋がる
クドカンのドラマは平易に見える分、たぶん難しい
間違ってる方、目覚めてない方を、全否定して、我々の側につけ!我々の方が知的で正しいのだ!って強制するやり方じゃ伝わらないのでミュージカル調にした演出とか、いちいち考えられてるーって思ったけどね
未だ昭和的価値観で生きてる方とも、過激に正論押し付けていく方とも、共生しなくちゃいけない
対消滅なんかしないんだから、我々は理解し難いひととも生きていくしかない
『季節のない街』で、ソコにいることを忘れて、見えなくなってしまったひとも生きているってことを描いたクドカンの次のターン
進化してるぅーすげぇ!って思った