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佐原(BLが好き):komeda: さんがブースト

「ノーマスク基本にする姿勢は、喘息でマスクができない人には朗報」みたいな言説が広まりつつあるようなのですが、

マスク着用機会が増えることで、喘息の発作起こす人は激減しました。
もうこの事実がすべてじゃない???

自分も喘息持ちですが、むしろマスクは味方ですよ。
インフルエンザも喘息持ちには大敵なのですが、インフルエンザが減る=喘息持ちがインフルエンザ悪化させ大変な目に遭うリスクも減る、ということなので、コロナについてのみならず、ユニバーサルマスク最高です。

マスクつけられない人もいるのは、間違いなく事実なのですが
そういう人たちを感染症からまもるためにも、できる人はマスクしようね。というのが筋でしょう。
マスクできる人らまでヒャッハーノーマスクしてはしゃいでるんじゃないよ。異常です。

ともあれ、喘息を使ってノーマスク歓迎とか、マスク着用推奨を貶めるようなことはするなよな。人でなしの所業。喘息持ちを殺すな。迷惑です。

以上。

でもるろ剣はもう平静では読めねぇなぁ〜〜〜っ

自分で自分を暫定的に(暫定値である、というのが私には大事)定義する言葉や概念の端っこみたいなものに、私は成人して数年くらいで出会えたから、なんか落ち着いた。

それを表に出さないのは、出したら、社会からそう定義されるようになるのだというのがなんか、いやだから。
自分では自分のことを暫定として定義したいけど、それと寸分違わぬものだったとしても、社会からは定義されたくないのね。
性別欄の「女」にチェック入れることと、社会から「女」にチェック入れられることとが別物である、というのと、たぶん同じことだと思うんだけど……

川本真琴の『1/2』を聞いて、
そうなの、いやそうじゃないのよ、みたいな複雑な思いになったり。
らんま1/2には「これがいい! うらやましい! でもこういうことじゃない!」とか、むきーっとなったり。

自分の感覚と試行錯誤と、家庭内でのカオスと社会からの要請と、それらのすべてがなにひとつかみあわないまま育ったら、こうなったよ。の、いま。

柳宿とか鎌足さんとか、「男」「女」に迷いなく二分されることのないキャラクターの人(としか当時の描かれ方について私は上手く言えないんだけど)に自分はいつも没入したり心を寄せたりしていたんだけど、リアルでもそうだが創作物であってもどうにもロールモデルにできるような描かれ方ではなく、
ロールモデルがいた・あったところで、自分の育った環境では男ジェンダーの人にも女ジェンダーのひとにもどのみちうまくなれなかったろうとは思うんだけど、みんなこういう所在なさとどうやって付き合って育ったのだろうな。

いやでも、自分はジェンダーとか以前の場所に立たされていたのか…… そういうもろもろとの付き合い方を学べていたとして、実践できたとは思えないし、どうせ意味なんてなかったのかも。

よくある話ですが、私もけっこうな「推しがよく死ぬ」タイプのコンテンツ消費者でして、小学生のときにはすでにそうだったので、この性癖も筋金入りなのかもしれないな。

いまアルフレドと柳宿のこと思い出しながら書いています。
生まれて初めて買ったキャラソンCDは『ふしぎ遊戯』の柳宿のものでした。

この思想を保守的と認識しているのはなぜだ? と聞かれたら、なぜなのかはわからないぜ〜

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私はとても保守的な人間で、というのは、
すべての大人はすべての子どもに対して責任があり、すべての子どもは学びの権利を剥奪されてはならず、また学びを得て育った大人はその学びを次代の子どもたちのために社会に還元するべきである。
みたいな想いを根底に持っているからです。
私は学びを得ていたけれど、それは≒虐待を受けることでもあったので、そうではないかたちでどうにか……

『ロミオの青い空』に触れたり、作品を思い出したりすると、そういうような自分の指針を再認識する。
ラインの着せ替えが『ロミオの青い空』なので、機会はわりとちょいちょいある。

菅野彰作品の「愛」、それぞれのキャラやCPによって色も形も重さもそれぞれだが、成分表を見ると原材料も、わりに割合まで似通っているようには感じる。

悲しみ及び切断の痛み30%、諦念30%、選択と意思40%、くらいのイメージ。

そういうところが好きですよ。
『毎日晴天!』、振り返るといろいろあるけど、良きシリーズです。

佐原(BLが好き):komeda: さんがブースト

"メルケルは普段はヤジに反応することはないのだが、この日は違った。彼女は、以下のように応答したのだ。

「私は啓蒙の力を信じている。今日のヨーロッパが、まさにここに、このようにあるのは、啓蒙と科学的知見への信仰のおかげなのだ。科学的知見とは実在するのであって、人はもっとそれを大切にするべきだ。私は東ドイツで物理学を志した。しかし私が旧連邦共和国(=西ドイツ)出身だったならば、その選択はしなかったかもしれない。東ドイツで物理学を志したのは、私には確信があったからだ。人は多くのことを無力化することができるが、重力を無力化することはできない。光速も無力化することはできない。そして他のあらゆるファクトも無力化することはできない、という確信が。そして、それはまた今日の事態においても引き続き当てはまるのだ」"

newsweekjapan.jp/stories/world

24年?! ほんとに?!
ほんとだ………………?

佐原(BLが好き):komeda: さんがブースト

で話題を見かけたので

伊藤計劃氏が亡くなってからもう24年も経つのか

淡々とした文体からあふれ出る蒼い火のような熱量に圧倒された『虐殺器官』は今も色褪せず

MGS PEACE WALKERのクレジットに泣きました

犬井ナオ『俺に絶対、触れちゃダメ』

あらすじすら読まず、表紙にすら注目せずの、完全なる作家買い。勝利。

ロミオとジュリエットを意識した結果の納豆とのことで、いや納得感は高いです。『銀の匙』履修しているので。
受けくんの、ちょっと変わった子かな? という感じの真っ直ぐすぎるところが大変好感度高いんだけど、その受けくんから見ても「おもしろいやつ」の攻めくんも良い。
日々ぼんやりと学校で納豆を配り歩き、彼に魅せられる人々は納豆と自分とを比較し、もしくは天秤にかけ、玉砕していくのである。文字にすると意味がわからないのだが、そうだよなぁ〜となるし(なるよね?)、かわいいので、いいと思います。

ロミジュリこれどうすんの? と思ったら、ど真っ直ぐにそっちの方向で、オッケーハッピーめでたしめでたし✨🙆‍♀️✨でよかったです。
サクッと読んで充実してニコニコしたいときのBL。

amzn.to/3xoK3to

菅野彰『色悪作家と校正者の不貞』
新刊発売記念の再読。シリーズ1冊目。

菅野彰作品は基本的には好きなんだけど、文章に癖があるので、読めないときは本当に読めないし、「こういうことか……!」と沁みるまでに時差がとてもあったりする。(ただしこの時差は、私側の理解と心の準備の問題)

今回再読なのだけど、このシリーズにあまり近付いていなかった原因を再確認したし(原因隣接事項として、攻めの傲慢が心から気に入らないし)(キャラは嫌いじゃないむしろわりと好きかもなのに)、
一方で、これだからこのシリーズはおそろいしいし、好きなのだ、ということもまた再認識させられた。
愛とか心とかと現実と感情って、釣り合わなかったりままならなかったり、持て余すし、見据えちゃうと抱えきれないよねぇ……みたいな話。

シリーズは最新刊含め8冊。7冊目まで購入済みで、この1冊目含めて3冊目までは既読。
ゆっくり再読すすめつつ、最新刊までやはり追いたいな。最新刊も買います。

なお最新刊は、先週発売の『色悪作家と校正者の初戀』。8冊目で「初戀……?」となるが、この作者さんなら、あり得る。

amzn.to/3I0yAFk

自分は1000万とか全っっっ然届かない、賃金でパート出るよりは稼げますくらいの額でフリーランスやってたけど(開業届け出して屋号持って青色申告も毎年していたよ)、

フリーランスだと行政、おもに子育て支援課から簡単に当たり前に劣位に置かれるし、保育園の現場の保育士にも舐めプされるし、たぶん他の保護者から「密告」みたいなこともされたし、控除金額下げられたし、今後はインボイスとかもあるしでやってらんなすぎたので、事業は正式に畳みました。廃業です。

被雇用者が向いているのかと聞かれたら、まっっっっっっっっったく、向いてはいないですが……

↓BT
フリーランス協会が照準合わせてるのはたしかにそういう層だとは思うけど、フリーランスの実態はそういうばかりではない、ところは、協会は把握していると思う。
ついでに政府もそんなもん普通に把握し・イメージしていて、というかそういう「正規雇用からあぶれた人」枠として「フリーランス」という枠を使ってる部分は、かなり多いという認識。

ただただ「稼げてないのは自己責任」って切り捨ててるだけで。
切り捨てても社会的にあまり文句言われない存在として「フリーランス」枠を使う意図のもと、フリーランスの枠組み推奨してるように、私には見えます。

佐原(BLが好き):komeda: さんがブースト

みんながそうとは言わないけど、年商1000万以下のフリーランスってこう言う人多いと思うんですよ
twitter.com/koshian/status/162

小西明日翔『来世は他人がいい』7巻

このシリーズ、なにがおもしろくて追っているのか自分でもわからないんだけど、惹かれてしまうんだよな。
吉野さんが好きなのかも知れない。不器用ないい子なんだけど、きっちり極まってておかしいところ。情があって度胸があって頭が良くて、最後には自分のペースしか守らず筋はきっちり通す点、見ていて気持ちいいに決まっているというか。その上おもしろくてかわいい。
ここまで書いてて気づいたけど、好きなんだろうなぁ。
吉野のこと大好き大好きなメンズが複数いるんだけど、しっかり吉野様をお支えしたまえよ、の気持ち。霧島の性格の悪さが、そのへん頼り甲斐ある「かのように見える」から応援もしたくなるんかな……?
翔真も好きですが。

なお彼の人の宣伝ムービーcv.が神谷さんと知ってめちゃくちゃ興奮した。

amzn.to/3xdWvMB

田沼朝『四十九日のお終いに』

短編集。恋愛なのかそうじゃないのかも曖昧だし、百合ぽいものも男女を感じさせるものもBLだ!!!! というものも、全てが混在していて、どれもが良かった。素晴らしいな。

「こういうのお好きじゃないですか?」って提示されてる感があるんだけど、その提示のされかたも好みの範囲内。

突然肩の力を脱力させにくる、みたいなテンポは『いやはや熱海くん』の方が洗練されてはいるけど、こっちも全然、魅力的だった。

初期短編の田中相と吉田秋生と昔のヤマシタトモコの無理のないハイブリッドという感じがあるなーと感じたのですが、それはさすがに気のせいかも知れない。さすがに素晴らしすぎるもの。でも気のせいじゃないかも知れないけど。好きだ。

この作家さんと出会えて良かったな。『いやはや熱海くん』お勧めしてくれた方々、ありがとうございました。

amzn.to/3JWxWeC

↓の話題につき

日本で「健康増進法」が公布され翌年施行されたとき、日本の政治はゲスでクズだと思ったし、この法律の方向性が、つまり根本がとんでもない悪法であることについて自分のまわり(学部)では大きな話題だったけど、世間はそうでもなかったんだよな…… そこらじゅうでタバコ吸いたい人らが息苦しくなるつってたくらいで…… というのを思い出している。

WHO全否定の勢いで「健康は権利である」という原則をぶち壊し、市民に対して健康を維持する努力義務がある、そして健康は自己責任であるという前提のものに、転換されてしまった法律なんだけど、おかげでこのコロナ禍でも、その悪影響バリバリに殺される日々ですね。

「健康増進法」の問題点について、いま見つけたんだけど、このページはベースがまとまってるなぁと思いました。

hokeni.org/docs/2017040500412/

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