結局、毒の効果や成分をいくら列挙したって、毒の味が飲んだことのない人に伝わるわけもないので、表現物にするということの限界(仮)を感じてしまうわけなんだけど
漫画で表現をするとき、漫画は特に分かりやすさが大切だから、「見た目が派手で分かりやすい状況や行為」「定型の表現方法による感情表現」ばかりが採用されてしまうのはある程度そういうもの。そのたびになんとなく自分と漫画世界との差異を感じてしまうし、差を感じずに読める人々との溝も広がる一方になってしまうのではないかと不安になるよね
毒親とかは本当は、「何をされたか」よりも「1人の人間がどう思ったか」を大切にしてほしいと、個人の苦しみからは思うのだけどね。それを表現できるほど、漫画の技術も漫画を読む人間の読解力も足りないかもしれない(でもそれは小説でも映画でも、どのコンテンツでもきっとそう)
ふんわりはなすよ
親との関わり方が拗れきってしまっているので、創作における「仲良しの幸せ家族」も「虐待家庭」も大抵どちらも受け付けないのだけど、そうすると一昔前のラノベでよくあった「親は海外出張中」という親を物語から排除するご都合設定は案外と居心地がいいものだったのかもしれない。あるいは、血筋を重視しないファンタジー物語など。もちろん(少年)漫画とかもね
ジャン+のコメントで「読み切りがいつも"毒家庭で苦しい自分にLGBTの友達ができて前向きに生きていけました"ばかりだな」ってのがあって、その傾向は本当に感じるし、(作者がどうかは知らないけど)家庭環境やLGBTの苦境をライトにエンタメコンテンツとして消費する傾向は、例えそれが「毒親」「LGBT」という単語の表層を浸透させるのに一役買うとしてもあんまり好きじゃねぇなぁと思う
「しごでき」という言葉がめちゃ嫌いで、その理由は、仕事をこなすということには適性のある配置・体調体力など仕事と関係ない要素がたくさん絡み合ってるのに、良い環境と個人能力をラッキーに得られた人だけフォーカスされて、得られなかった人を無意識に蔑む姿勢が感じられるのが嫌なんだと思っていたけど(長い前置き)
単に「しごでき」を使う時の「しごと」の想定が「スーツ着て、企画書書いて、内外と折衝して、スケジュール管理して…」なイケイケ職サラリーマソ✨しか想定されてなさそうなところも嫌いなのだと気付いた。偏見だけど
効率が良い人に使うべき形容詞として生まれた言葉なのかな〜(だからそこ以外の使用例を想定してないことに文句言うべきじゃない?)
情緒的な能力も必要な職に「しごでき〜」とはあんまならんだろ〜って思う。色んな例の中では顕著にそう感じる。