改めてじっくり情報を入れてみて、アセクシャルの中でも自分の状態に近そうだなってものは色々ありました!それを名乗るも自由だし、名乗らないのも自由です。素晴らしいね
今までディミセクシャルとかを考えたこともあったのだけど、それを選ばないで「アセクシャルか異性愛者か」の極端な2択に陥っていたのは、「他人から恋情を向けられた時/向けられないようにする時」のお返事として「私はアセクシャルなんです」を使えば諦めてもらえるかなと考えていたから。それが例えば「ディミセクシャルです」だと「じゃあチャンスあるじゃん」になるのが嫌で…でもそれは己がアセクシャルを名乗ることに対してしっくり来てるわけでもなかったし、言い訳に都合よく皆さんが使うセクシュアリティ用語を使うのも申し訳なかった…
今は、もしかしたらそんなこと気にしなくていいぐらい、セクシュアリティというのは懐の深い存在の仕方をしているのかもしれないなと思うようになりました。
いただいたwiki見て思ったこと〜
・アセクシャルの中にも色々あるのはもちろん知ってたんだけど、ちゃんとその言葉たちが体系的に分類されてると安心するなぁ。この言葉たち(=この言葉によって自身を探ってゆく人たち)を埋もれさせないぞという意思を感じるので
・そして、「言葉が人に合わせる」っていうのがとても良い。私がその分類上の呼び名によって定義されるのではなく、私に当てはめた言葉が私の存在によって定義を柔軟に変えていくんだね。
・「言葉が人に合わせる」ことに加えて、「細分化することで少しでもしっくりくる形を作りたい」という意思も感じたよ。その2つは戦略的には対極かなぁと思うのだけど、色んな戦略を用いて「誰ひとり取りこぼすことなく居られる形を用意しておきたい」という目的は一致していて優しいなぁと思った
上司は「てんさんはアセクシャル/アロマンティックなのか考えたけれど違うと思う」と言いました
服を当てるように、他人にそんな言葉をあてて、勝手に違うと決め付ける行為の、身勝手な残虐さに思いを馳せてほしい。私は痛みに鈍くて、相手のことを慮れる半端な優しさと賢さがあるから、それを「痛みだ」と気付いた上で「でも今すぐ死ぬ痛みじゃない」「この人に加害の責を負わせたくない」としまうけど
どうして私の心の中のことを、あなたがそうやって分析して決めてしまうのだろう。そして、私自身である私が、私の知りうる限りの私を説明しているのに、どうして都合の悪いことは聞かないで思い込みを強めてしまうのだろう
私はあなたと恋愛はできない。でもあなたを人間として愛することができる。それではダメなのかとずっとずっと言ってきたのに、それではダメだと上司は言う
そもそも上司はとても年上で。20歳ほど離れている既婚者で
私はもう常識ばかりに囚われて、それで他人を縛り付けて傷つけるのはやめにしたいので、なるべく年上であることも既婚者であることも抜きにして、上司の人間性に私の人間性でぶつかりたいとおもうけれど
よく考えなくても、常識を捨てることが、私の嗜好を変えることとイコールではないものね。「同性に恋愛感情を抱かないと同性愛を理解できない」わけではないのと同じで…「年上や年下を好きにならなければ、恋愛は同世代でするものという固定観念に囚われている」わけではない。
私は私で決めていい。私は20歳年上の人と恋愛はまずできないし、既婚者と恋愛はまずできないし、そんな要素を抜きにしたってあなたとは恋愛はできない。それは常識に縛られた可哀想な私だからではなく、常識を置いて考えてもやっぱりそうだからだよ。
でもそれが上司には伝わらないんだ
「私は他人に恋愛感情を持ちません。他人から恋愛対象として見られることも好みません」と伝えている。ただ、大体の場合、そして今回もまた「それでも」と食い下がられる。
私はアセクシャルやアロマンティックではなく、単に生まれて育った環境の積み重ねが私に恋愛を拒絶させているのだろうと自分で考えているけれど、それが「アの人を名乗る理由/名乗らない理由」となるにはとても弱い
誰が、生まれた瞬間に、自分の性別や恋愛対象を自覚し、それを死ぬまで揺るぎなく貫くことができるというのだろうか。人間は体に「女が好きな男です」「男が好きな無性別です」と書いて生まれてくるあるんですか。そうではないことなんて当たり前に分かります