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素敵なポポラスリーフがお店に出たので、買おうか迷っている。ほしいな〜
昨日までは「ほしいけど…でも…売れ残ったら…」って気持ちだったけど、今朝は空が白いから「いや今日買おう?!」の気持ちが湧いてきた。悩ましい。余ったら買うけど…

あ、てか、色々な人々に実際に言われたり言外に匂わされてきた「あなたのことを女性として好きです」という文言がボカァ気に食わんのか
女性物の服を着て、料理が好きで、細やかな気遣いをして、丁寧な言葉で喋って、メイクをして、足を広げないだけで、自分で「私は女性です!」と名乗ったことなんてないのに、勝手に決めつけられて勝手に巻き込まれることが、いつも我慢ならないのかもね
そして、そこを疑ったことがない人のことが怖いのかもしれないね

改めてじっくり情報を入れてみて、アセクシャルの中でも自分の状態に近そうだなってものは色々ありました!それを名乗るも自由だし、名乗らないのも自由です。素晴らしいね
今までディミセクシャルとかを考えたこともあったのだけど、それを選ばないで「アセクシャルか異性愛者か」の極端な2択に陥っていたのは、「他人から恋情を向けられた時/向けられないようにする時」のお返事として「私はアセクシャルなんです」を使えば諦めてもらえるかなと考えていたから。それが例えば「ディミセクシャルです」だと「じゃあチャンスあるじゃん」になるのが嫌で…でもそれは己がアセクシャルを名乗ることに対してしっくり来てるわけでもなかったし、言い訳に都合よく皆さんが使うセクシュアリティ用語を使うのも申し訳なかった…
今は、もしかしたらそんなこと気にしなくていいぐらい、セクシュアリティというのは懐の深い存在の仕方をしているのかもしれないなと思うようになりました。

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いただいたwiki見て思ったこと〜
・アセクシャルの中にも色々あるのはもちろん知ってたんだけど、ちゃんとその言葉たちが体系的に分類されてると安心するなぁ。この言葉たち(=この言葉によって自身を探ってゆく人たち)を埋もれさせないぞという意思を感じるので
・そして、「言葉が人に合わせる」っていうのがとても良い。私がその分類上の呼び名によって定義されるのではなく、私に当てはめた言葉が私の存在によって定義を柔軟に変えていくんだね。
・「言葉が人に合わせる」ことに加えて、「細分化することで少しでもしっくりくる形を作りたい」という意思も感じたよ。その2つは戦略的には対極かなぁと思うのだけど、色んな戦略を用いて「誰ひとり取りこぼすことなく居られる形を用意しておきたい」という目的は一致していて優しいなぁと思った

頭の中で色んな考えに蹴りがついてるのだけど、煩雑に色々考えすぎているので出力するところになると上手く繋ぎあわせず、書いて消してを繰り返してる
上司、友人、皆さまへのお返事も滞っている

自分が(異)性愛を一度も抱いたことがないからといって、(異)性愛者の誰かにそのことを詫びたり、その責任を自分ばかりが背負って何かを諦めたりしなくてもいいんだよね

自分はあなたの恋愛感情に応えることはできないが、あなたとそれ以外の関係性を持続させていきたい。という提案は、アセクシャルであるかないかなんて関係なく、人々の間で行われてきているはず
なのになんで「自分が他者に恋愛を抱けない性質だから」ってことが加わっただけで、そこに引け目を感じてしまうんだろう?
いいんだよね?「恋愛感情に応えられない」ことは「他者の異性愛を否定すること」ことにはならないんだよね?

読んでます、ありがたい
ありがたいよ。色んな人が、私を引き戻そうとしてくれていると感じる
返事不要とのことだけど、またの折りにお返事します。
今は考えることも多く、頭がぼんやりしているので、独り言を話します
ありがたいです

ほにゃ〜っとこんな感じのことを考えているのですが
間違ったことや変なことを言っている時には指摘してほしい
他人のことはよく分からないが、自分のことだとますます分からなくなる。

上司は「てんさんはアセクシャル/アロマンティックなのか考えたけれど違うと思う」と言いました
服を当てるように、他人にそんな言葉をあてて、勝手に違うと決め付ける行為の、身勝手な残虐さに思いを馳せてほしい。私は痛みに鈍くて、相手のことを慮れる半端な優しさと賢さがあるから、それを「痛みだ」と気付いた上で「でも今すぐ死ぬ痛みじゃない」「この人に加害の責を負わせたくない」としまうけど

どうして私の心の中のことを、あなたがそうやって分析して決めてしまうのだろう。そして、私自身である私が、私の知りうる限りの私を説明しているのに、どうして都合の悪いことは聞かないで思い込みを強めてしまうのだろう
私はあなたと恋愛はできない。でもあなたを人間として愛することができる。それではダメなのかとずっとずっと言ってきたのに、それではダメだと上司は言う

そもそも上司はとても年上で。20歳ほど離れている既婚者で
私はもう常識ばかりに囚われて、それで他人を縛り付けて傷つけるのはやめにしたいので、なるべく年上であることも既婚者であることも抜きにして、上司の人間性に私の人間性でぶつかりたいとおもうけれど

よく考えなくても、常識を捨てることが、私の嗜好を変えることとイコールではないものね。「同性に恋愛感情を抱かないと同性愛を理解できない」わけではないのと同じで…「年上や年下を好きにならなければ、恋愛は同世代でするものという固定観念に囚われている」わけではない。
私は私で決めていい。私は20歳年上の人と恋愛はまずできないし、既婚者と恋愛はまずできないし、そんな要素を抜きにしたってあなたとは恋愛はできない。それは常識に縛られた可哀想な私だからではなく、常識を置いて考えてもやっぱりそうだからだよ。
でもそれが上司には伝わらないんだ

「私は他人に恋愛感情を持ちません。他人から恋愛対象として見られることも好みません」と伝えている。ただ、大体の場合、そして今回もまた「それでも」と食い下がられる。
私はアセクシャルやアロマンティックではなく、単に生まれて育った環境の積み重ねが私に恋愛を拒絶させているのだろうと自分で考えているけれど、それが「アの人を名乗る理由/名乗らない理由」となるにはとても弱い
誰が、生まれた瞬間に、自分の性別や恋愛対象を自覚し、それを死ぬまで揺るぎなく貫くことができるというのだろうか。人間は体に「女が好きな男です」「男が好きな無性別です」と書いて生まれてくるあるんですか。そうではないことなんて当たり前に分かります

いろいろ、考えていることがあるけれど、どっかに出力する余裕がない
年上の男性に不倫をもちかけられています。どうしていつも恋愛は人生を狂わせるばかりなのだろう

奥手な2人が仲良くなったり遠慮したりしながら少しずつ信頼関係を作っていく学生の恋愛漫画、すごく可愛くて素敵な関係性だったけど、付き合った後は「家にいってもいい?」「えっ、親いないよ…?」的なものが始まっている。別にこの漫画はそこから性交渉には至らない(んじゃないかな)と思うけど、よくよく考えたら「家に行ったら性交渉(の気があると思われかねない)」がまかり通ってるのも、仮にそうなってしまった時その責任がされた方にもあるのは本当になんなんだ
の気持ち

アプリで無料で色んな漫画を読めるようになって思うんだけど、少女漫画〜TL漫画が全部同じアプリで一緒くたなのヤバない?
そして、そこももちろんヤバいと思うけど、別にTL漫画でもない普通の学生の恋愛を描いた漫画で性交渉をしたり、その手前の描写があって、受け入れる状況に普通になんか認知歪んでんな私と思った

あーここはほんとに素敵なところだ〜こんなふうにたくさん考えて頑張ってる人がいると安心しちゃうなぁ…ありがたい…でもいつもいつも頑張らせてしまって申し訳ないし心配だし…私も頑張ろう!

なーんか、親子関係にしろ、会社にしろ、私が理不尽とか悪意とかを嗅ぎ取る力が強すぎるせいでダメなのか?って心配になるな〜
理不尽や悪意も、そうじゃないただ単なるズレとかもちゃんと清濁あわせ飲むことのできる人間になりたいネ

クレープを作る時に卵と水と油と塩を入れたらなんかとても綺麗だったので写真を撮った
けどあんまり上手に撮れなかった

短歌って文字数が少ないから、昔々の和歌の時代から、狭いという制限の中で表現する世界をいかに広げるかは一つの大きなテーマだったんよね多分
そのために歌枕、掛詞、本歌取りとかが生まれた…と思う
だから、短歌以外でも、文学や舞台なんかの別の作品を本歌取りするのは当然なんだけど。どうしても、そこには本歌取りと同じく「本歌に近すぎても遠すぎてもダメ」というルールはあるんじゃないかな。
個人的には「モチーフを知らなくても何かが光る普遍性が必要」だと思うし、そこに辿り着くぐらいには本歌のインプットも己のアウトプットも練らないといけないよなぁ。むずかしー

ただ、当然のようにギリシャ哲学や中国史や、文学作品や歌舞伎や古い映画などがモチーフにとられていると教養は必要かもしれないとひしひし思う

一方で、「純文学やオペラ」と「ジャンプ漫画やYouTube」の間にどんな差があるのだろうかとも思う。変わらないよそんなの

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