『幻日のヨハネ』4話観た。ヨハネにとって最も縁遠そうな明るさと遠慮のなさを持つ二人、ということでヨウとカナンをまとめて一話としたのはよかったと思った。余計に二人の暑苦しさというか、ヨハネにとって対処の困る感じがわかりやすくなる。とはいえそれを、ヨハネにとってはあまり顧みたくない孤独な記憶と絡めつつも、彼女が持っている他人への関わりづらさを描けていたかというと疑問。すごく小さい会話の失敗に大きく凹んでしまうあたりからもっと膨らませられたのでは…。ヨハネのもっと嫌なところも観たいというか。最後のミュージックビデオ的でしかないパートも含めて相変わらず惜しいという気持ちが大きく残る。

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『幻日のヨハネ』4話、3話もそうだったけども、「ラブライブ!といえば歌」という固定観念を捨ててほしかった。確かにファンとしては新しい楽曲が聴ければ嬉しいけれども。ラブライブ!本編と違って、脚本と歌がそこまで密接には結びついていないにも関わらず、製作スケジュールを大きく制限する楽曲の使用を考えているために作品全体のクオリティの方向性が制限されてしまっているのではないか。『虹ヶ咲学園』がそれまでのラブライブ!から離れようとしているにも関わらず、楽曲を用いることを優先したゆえに、個性を失ってしまう(物語や人物のエモーションの高まりや変化は個性的なのに、最後にかならずライブシーンが挟まれるために均質化してしまう)失敗をしていたことを思い出してしまう。

というか、『幻日のヨハネ』4話のことを考えていてようやく『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の何が不満だったのか言語化できたな。全員異なって個性的なはずのドラマが、どれも「最後にライブシーンがある」という同じ構成・コストによって語られ均質化してしまうのが受け入れられなかったのだ

それにしても、『幻日のヨハネ』がここまでの段階で示しているてらいのないコミュニティへの信頼、今の自分にはほとんどないのだなあと実感している。考えてみれば普段働いている場所や住んでいる場所(人々)への信頼はいまやほとんどない…というか本当は無垢に信じたいけども信じられない、という状態で、そりゃフィクションのなかであってもそう簡単には信じられまい。『サンシャイン!!』を観ていたあのころから随分わたしも変わってしまった。

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