本当に辛気臭い事ばかり真面目に考えてしまって見てる人に申し訳ない でもここはそういうアカウントなのでご了承ください…

人間って病気とかの事って案外「今闘病中の人」しか想像してなくて「闘病していたが良くなった人」とか「現在治療中で努力をしていてよくなってきている人」みたいな属性の人は視界から想定の範囲外になりがちなんだなあ…という事をちょいちょい考える機会がある

お一人様サーバーに最近興味があるけど実際立てた人の話を複数見てるとめちゃくちゃこれなんだろうなって思う…(立てるのは簡単、立ち方の解説とかもかなりネットで見つけられる、けど維持・運営がめちゃくちゃ大変っぽいのを感じる)
あと日本で開発されてるMisskeyならともかく他のソフトウェアだったら英語を恐れてたらやっていけなさそう…(私は英語苦手)

こないだあすけんをインストールしてから記録のことを考えて間食を控えるようになった(それだけでも多分効果が出てる!)んだけど今日はお腹空いてたからご飯感覚で喫茶店でケーキを食べてしまった てへ

しばらくツイッターもここからも離れてから久しぶりに自分の文章見返すと「文字量、多…」「ないよう、むずかしい…」の顔になる
こんなこと考えてたんだな…って思う

Twitter次日曜日あたりに浮上します多分…
仕事また忙しくなっててツイッターの方足が遠ざかってます すみません…
(最近ちょっと体調管理用のメモアカウントにログインしっぱなしでアカウント切り替えれてない…)

別に、怒ることで性格に悪い変化が出てない人も愚痴は言うんだよな
でもそういう人は愚痴っても「その場かぎりのこととして、愚痴ることで発散して終わったこととして忘れる」みたいな方向に行ってる

逆に愚痴ることで悪い方に行く人は「現状に耐えきれないのでガス抜きのために愚痴ることしかできない」て感じで、現状を固定化して耐えてしまうし、愚痴ることで忘れずにむしろ悪感情を強化して自家中毒的になってる印象…

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怒りを発露するのが極端に苦手だから、自我が薄かった頃は「普通の人(?)ってすぐ怒る」みたいなイメージがあり、その次に「ちゃんと怒れる人はえらい」みたいな感情が芽生えてきたのだが、

私の中で「ちゃんと怒れる人」と認識した周囲の人のうち、「愚痴っぽい人」「怒りを愚痴として私に聞いてもらいたがった人」だけが長期的に見ると悪い方向に変化する結果になってて、その辺に結構強い因果関係があるんだろうな…と実体験として感じてしまっている…(そして私が愚痴聞いたのも悪かったかもしれんとなんともやりきれない気持ち)

別に怒りをエネルギー源にして自分や大切な人を守るために行動したり、自分の待遇の改善のために頑張ったり、努力するために怒りエネルギーを使ったりしてもよいので

やっぱり本当は怒る(ネットでのミーム的な用法※)よりも先に折衝とか交渉が必要で、そしてそのためには自分の願望や譲れるもの譲れないものを適切に把握したり適切に優先順位をつける能力が必要
(※怒りを露にしてできる限り過激な言葉で相手を罵倒したり相手に嫌な思いをさせたり恥をかかせるのが怒りであるというのがインターネットで共有されがちな「怒り」像だが、実際は感情としての怒りと発露としての怒りは別で、ネット上で言われがちな怒りはそこが混同されており、適切な怒りの使い方とは言いがたい)

人間関係で嫌なことあっても「でも自分が自己選択した結果だからな…」みたいな事をもっと思っていけたら納得も出来てダメージ耐性が上がって行くのかもしれない

親という本来であれば子供の事を思ってくれる「はず」「べき」存在が私の事を考えてくれてないという事にかなりダメージを受けがちだったけど、もういい加減「とはいえその分自分で自分を大事にするしかないか!!!」という諦めみたいなものが生まれつつある
遅いけど

インターネット、うっかり通り魔に遭って被害を受けたレベルの事でも非会社の非を無理やり見出そうとする人いるから、あまり優しくない
普通にお互いの素性をわかってる対面の人間の方が優しい

私の親との親子関係があんまりよろしくなくて(しかし絶縁してるという訳でもなくて)たまに「とても嫌 :blobcat_frustration: 」みたいな事態が発生するんだけど、親子関係の話って時間の蓄積もすごいし独自文脈多すぎて、あと私も結構いい歳だから「親だけが絶対に悪」って割り切れる感じじゃないんだよな~
人間だからお互いに完璧な対応はできないしその積み重ねがあり…

そしてインターネットで不特定多数に向けて言う愚痴って「相手が完全に悪く、私だけが絶対的に被害者」ってポジションを得て安全に慰撫を得たいという構造になってしまうので(そうでなければ不特定多数に逆に自分の非を指摘されてダメージを負ってしまう)そこに無理やり寄せてまで他人から慰撫を得ようとするもんじゃないな…という感じがする

愚痴とか怒りの共有のためにネットで自分の抱えてる事情を説明することって、どうしても「自分の正しさ・被害者性の証明」みたいなことに偏ってしまうし、しかし外から見たら情報も不足していて外から見た一般論的な反応や見た人の感覚に基づいた反応しかすることは出来ないので、やっぱりインターネットで愚痴を広い範囲に向けて発信するのは危険が危ないなあと思うなどする
自分がついついネットで愚痴るタイプだから自分に何回も言い聞かせてるのもある…

私が小説が読みたいって言う時は大体ミステリ小説か、作りたいオリジナルキャラのテーマ性に近い話が読みたいとかそういう感じ

いい感じに私っぽい文章が生産された
やっぱ意見の違う人から触発されると言いたいこと多少は明確になりやすい

「より知識がなく立場が弱い人間に自己決定させるとより悪い方に行くかもしれないから、専門的なアドバイスをしたり弱者を守るための制度を整備して、それを守ってもらおう」みたいな事って、世の中にはありふれていて
医者の言いつけと素人の患者の意見だったら、医者の処方や言いつけ守った方が大抵は上手く行く 私の飲みたい薬を出せとか言ってもそうはいかない
子供はお酒もタバコもダメだし色々制限がされている

多分その多数の中に不当な事例があることはあると思ってて、「それは不当だ!」て言っていくべきことはあると思ってる

でもこういうパターナリズム的制限が一律で差別的でアウトなのだ、という思考は結構危なっかしいと思う

子供でもお酒もタバコもギャンブルもなんでもやっていいですよ! 自己決定権!! とか言っちゃったら、付け込まれて困るのは弱者の子供の方なので…

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