でも、障害者手帳の事案については一旦おいておいて、こういう事全般に関する一般論を言うと、世の中にリスクやデメリットがない事ってほぼないんだよね
例えば社会制度の改変などについて「該当者以外には関係ないよ、変化ないよ、今まで通りだよ」って言うムーブなんかがかなり見られるけど、正直どうなのかなって思う所がある
「世の中は変わるよ、でもいい方向に変わるんだよ」とか「デメリットもあるけどメリットの方がずっと大きいはずだよ」とか「変化した結果がどうなるかわからないけど、試してみるべきだし、その価値はあるはずだよ」みたいな言い方の方が誠実だし、自分を自己洗脳しない言い方なのだろうなと思う(自分で自分の言葉を信じ込んでしまって「デメリットや変化はないのになぜそんな簡単なことがわからなくて反対するのだろうか?」という地点で認識が止まってしまう…)
なんでこういう話をしてるのかというと
このツリーの最初の話題について、「障害者手帳を持ってることを隠してたのがバレたせいで退職させられた人がいたよ、デメリットがないって嘘でしょ?」って言ってる人が居て、あ~~~~~難しい話…………ってなって考え込んでしまった(別にその人を説得したいわけではないし、その人の意見はそれはそれで一種の正論なのはわかっているのですが、それは置いておいて悩ましい部分が別にある)
もちろんそういう事で人の職を奪うというのは許されない行為であるという事に社会制度的にはなってるはずなんだけど、現実はそういう風に運用されてない
実際それ出るとこ出たら勝てる案件だけど、雇用されてる側の人間、かつ障害を持っている(心身に負担があるし金銭的にも一般の人よりも苦しい)人間が法に訴えるってハードルとして難しいよね
弱者なのだ…
難しいな~~~って思ってたことなんですが、
「障害者手帳を取ることにメリットはあってもデメリットはないよ」と言う人が言ってるのは、そういう「手帳なんて取ってしまったら、自分の価値が下がってしまうんじゃないだろうか…」「他者からいわれのない差別を受けるのではないだろうか…」みたいな不安を取り除いて、社会的保障制度を受けれた方が良いよね、っていう、安心方向に気持ちを落ち着けてもらうためのちょっと強めの言葉なんですよね
あと、社会制度的にはデメリットがないように配慮されている、そうあるべきシステムであるということに嘘はないと思う
(対人関係などの無限にリスクあるレイヤーの事は度外視にした話を最初からしているという…あと手続きがめんどい役所行ってらんねぇよ…とかのデメリットは絶対に生じる)
不安に囚われてる時に聞く安心のための言葉って、「デメリットもあるがメリットもある」みたいな話ではいまいちピンとこなくて、多少強めの方が安心する所ないでしょうか
でももちろん強めの言葉を聞いてデメリットがあったと思った場合、「裏切られた」という感情も発生するから、難しいなって思う…
「失敗しても死にはしないし、挑戦や行動してみよう」みたいな話も、まあ冷静に考えたら失敗したら死ぬことなんて世の中には色々あるじゃん
よーし思い立ったからなんの準備もせずに川に遊びに行くぜ~とか行って泳いでおぼれて死ぬかもしれん私
でも普段が行動しないタイプだから「悩むより行動」みたいな言葉が効くわけで
逆に悩むより行動が行き過ぎてる人は「行動する前に一呼吸置こう」とか言われるんだと思うが…
なんていうか…言葉って道具だから使用のための用途があるんだよなと思う…
なんかこう…「今極めて困っている・弱っている人」って、不安が凄かったり、冷静な判断が出来ない状態だったり、誰かに決断を代わってもらいたいという状態だったりするので
むしろ信頼できる人から「こうした方が良いと思うよ」みたいな端的な意見を一方的に言われる方が安心する場合もあり(私の場合は…)
「誠実にすべての情報を提示して自主的に判断してもらう」っていう、一般的に「相手を対等に扱っている」みたいに言われがちな対応をすると余計に物事が困難な方に進むかもしれない…と思う所があって、難しい…と思う…(別に私は誰かの判断を委譲されるような立場にないので、これは予行練習の予行練習の予行練習くらいの空論)
そういう態度を「馬鹿にされている」と感じやすい人も居る為、余計に物事が拗れる(今までうっすら若い人を想定して話してたけど、年長の人だと更にこういうことは起こりやすいかもしれない)
相手の能力に合わせて弱い者に強いものが「あなたのため」みたいに干渉すること、パターナリズムって言うみたいだけど
それ自体が一律で差別という事はないような気がするんだけど(個別のケースで判断が間違っていたり)
さっき言ったみたいな「馬鹿にされている」という感情を想起させやすく、弱者扱いされているという事も明確に伝わってきやすかったりするので、現在では一律に差別的だとされる場合もあり、難しいなって思う
先進的感覚と一般的感覚の乖離を感じる瞬間がある