おとなのEテレタイムマシン「アウシュヴィッツ証言者はなぜ自殺したか」(後編)
https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2024111628902?playlist_id=__search
母子不当聴取裁判、控訴審が開始
https://d4p.world/29582/
“後藤健裁判長は、警察が母子に同行を求め、子どもにも複数回に渡って事情聴取をしたこと、写真を撮ったことなどを、「なんのためにやったのか、必要性が整理されていない」とし、これが刑事事件に関連する聴取ではないことを確認した上で、法的根拠は何か、なぜ適法なのか、“同意”があればなんでもいいのか(Aさんは警察の行為に同意していないと主張しています)、などを整理するよう都側に求めました。”
「体の声」というものをあまり信用していない。
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf03269
“私自身もツェラーンと同様、自分の真実は母語でしか表現できないと考える。したがって、日本語で記述している。しかし、私には、その母語が日本の朝鮮植民地支配によって力づくで強いられた「檻」であるという考えが取り付いて離れない。
そのため、ある対象に接し、その経験を「美しい」とか「恐ろしい」とかという言葉で表現するとき、その表現がどこまで自分自身のものであるのかが疑わしい、といった感覚がある。念入りにいうと、それは「うまく表現できない」という感覚とは違う。何かを感じる感性、それを表現する言語それ自体がある外的な暴力によって注入されたものだということに気づいてしまった違和感である。いわば、自分自身の実存と言語表現との間の「裂け目」のようなものだ。伊吹訳への疑問も、この「裂け目」から噴き出してきたといえる。”
読んだ。詩、詩人のことをもっと知りたい。
『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』
斎藤 真理子 著
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4767
Twitterを使わないことの正義みたいなことはあまり思っていない。「黙ってろ、それがいやならここから出ていけ」にどうやって対抗するかといえば「その場にいつづけて発言し続ける」しかないのではと思ってはいる。ただし監視される場に身を置き続けているということでもある。
Twitterをというよりソーシャルメディア全般を以前より使ってないのだが、Twitterはパレスチナからの情報を得たければ必要で、それを見てないとなかったことにされそうだし。
ちなみにウィキペディアの「ガザ虐殺」のページは何度も消されそうになっている。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AC%E3%82%B6%E8%99%90%E6%AE%BA&action=history
当アカウントのTwitterの使い方(鍵運用中ですが):
フォローして投稿があるたび通知が来るようにオンにしておき、アプリそのものの通知は切る。フィルターは電話番号の登録のみオフにしていちばん厳しくする。通知欄の新規ツイート通知には通知設定してあるフォロー先の投稿のみが時系列で並ぶのでそれだけを見る。
それ以前に自分のアカウントの使用上不要なものは全部ブロックしている。差別煽動アカウントもだけど、差別煽動アカウントをフォローしている鍵アカウントは目的がなんだろうとブロックしている。対抗しているのは個別ユーザというよりアルゴリズムなので、ブロックは人的に繋がりを調整する目的で使っている。
文庫にならないかなと待っていたのでうれしい。買う。
『焼跡からのデモクラシー (上) 草の根の占領期体験』
https://www.iwanami.co.jp/book/b654001.html
聞いた。医療費削減と自己決定(自己責任)がくっつくと優生思想になる。
https://open.spotify.com/episode/61FxTIgWT0LJpqmBczFjZH?si=TTEkzmYWT6K8LhLcOZIIrA&t=3109
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています
takako3599@ohai.social こっちも