“戦前の産児調節運動家のなかにも、優生思想は色濃く存在していたこともあって、中絶の合法化を求める動きは、残念ながら堕胎罪廃止の要求にはならず、優生保護法のなかでの「母性保護」という形でしか実現しませんでした。
その後、日本では、優生保護法、1996年からは母体保護法に定める条件にあてはまる場合に限っては堕胎罪が適用されず、中絶が許可されています。しかし、2001年時点で、刑法の堕胎罪は存続しています。1995年に現代語に変わっただけで、100年近くにわたって、内容も条文もまったく変わっていないのです。”
http://www.soshiren.org/dataizai_toha.html
“優生保護法の2つの目的「不良な子孫の出生防止」と「母性の生命健康の保護」 は、実は一つに結び合わされています。「保護」される「母性」とは、“健康な子どもだけを、国家に必要な数だけ産む生殖機能”のこと。つまり優生保護法は、“産んでよい人”と“産んではいけない人”を選別したうえに、“産んでよい人”の生殖 も、国家の人口政策・優生政策の中に位置づけてしまったのです。避妊も中絶も不妊手術も、単に妊娠を避ける手段ではなく、優生学的目的を持たされました。1972 年の改悪案にあった「胎児条項」が示すように、女性の生殖をとおして人口の質を向上させる--女性に障害者排除の役割を担わせるのが、優生保護法の究極の目的だったといえます。”
“敗戦直後の日本は、食糧不足、住宅の欠乏という生活難をかかえ、人口の抑制が緊急の課題となっていた。ここに戦前の優生政策が生き残る余地があった。すなわち、特定の病者・障害者への差別が正当化された。”
“優生保護法は、一九四九年、第五回国会で改正される。このときの改正で堕胎の条件に「経済的理由」を加えたことはよく知られ、この点において、優生保護法は、女性が意に反した妊娠をした場合の堕胎を認めた女性の人権を守る法律という評価が以後、支配的であった。しかし、このときの改正では、断種の強制性が強化され、堕胎の対象の疾病、障害も拡大されるとともに、対象者も精神障害者、知的障害者の配偶者にまで拡大されたのである。”
“こうして、精神障害者、知的障害者、そしてハンセン病患者は法的に、「文化国家建設」という国家目的に反する存在とされた。特に、それまで法的根拠もないままなされてきたハンセン病患者への断種、堕胎は、以後〝合法的〟となった。”
第4章 引き直される境界 6 存続する優生思想
#読書
差別の日本近現代史
包摂と排除のはざまでhttps://www.iwanami.co.jp/book/b223928.html
ちなみに優生保護法は、 「子宮をとる」 ことを禁止していた。現在の母体保護法でもそうだ。かつての優生学的な理由に基づく不妊化にあたっても、そこまでの侵襲は認められていない。しかし、本人の自主的なニーズ(医学的理由含む)には基づかないかたちで「子宮をとる」 ことが求められ、実行されてきた集団もある。
ひとつは(女性)障害者。優生保護法では禁止されていた子宮摘出が、施設に入所するための条件などとして、慣例的に広い範囲で行われてきた歴史がある(ただしそれについては当事者の間でも様々な語りがある)。生理の介助が面倒であるという、介助者側の理由がおもな理由。
もうひとつは、戸籍の表記を「男性」に変更するトランスジェンダー/性同一性障害の人たち。法律では「永続的な不妊状態」が要請されているところ、これも慣例として、卵巣と子宮をともに除く手術を、少なくない当事者が 法の求めとして受けてきた。理由は、「男が出産すると法の秩序が混乱するから」。
百田の発言は、まぎれもなく女性差別的だけれど、子宮をもつ身体の人たちのあいだでも、置かれてきた状況や、受けてきた被害が違うということは、忘れるべきではない。
国家による生殖の管理としては、戦中の「産めよ殖やせよ」がよく言及されるけれど、戦後においても、生殖の支配は苛烈でありつづけた。
敗戦後、人口爆発による飢餓と貧困を恐れる指導者層にとっての懸念は「逆淘汰」だった。本来は淘汰されるべき「劣った人口」が増加してしまい、残るべき「優れた人口」の割合を圧倒するという懸念。―-信じられないほど差別的だけれど、優生思想とはそのようなもの。 この「逆淘汰」を防ぐためにできたのが、優生保護法(1948~1996)。
優生保護法は2つの役目を果たした。
1つ目。「不良な子孫」とされる(障害のある)人たちの生殖能力を合法的に奪うこと。これは強制不妊手術問題として知られており、今年やっと(!)最高裁で賠償判断が下され、賠償法ができた。
2つ目は、中絶を可能にしたこと。刑法堕胎罪によって、中絶を原則として犯罪化しつつ、「犯罪の例外」として、条件付きでの中絶を可能にした。その目的は、女性の健康や権利を守るためではない。貧困層の増大を防ぎ、「逆淘汰」を食い止めるためだ。
これは「SF」ではない。現実。百田の発言の怖さは、それが十分に「SF的」でないことにある。
「たとえ話」や「SFの想定」が、現実世界を考える手掛かりとなるためには、それが現実とどのように似ていて、どのように違っているのかを、丁寧に考える必要がある。
そうでなければ、そうした「たとえ」を利用する意味はない。
今回の百田(日本保守党党首)の発言が恐ろしいのは、その「現実との距離感」についての氏の認識が、おそろしく差別的である点にある。
私たちの社会は ”国家の繁栄” にとって「都合のよい」生殖を推奨・強要し、「都合の悪い」生殖を抑制・禁止してきた。そして、そうした政治によって被害を受けてきた最大の集団は、妊娠・出産する能力をもつ(とされる)うえに、子育てまで期待される、女性たちだ。
実際問題、私たちの社会にはいまだに刑法堕胎罪があり、中絶には配偶者の同意が求められ、性教育は妨害され続けている。これはSFではない、現実だ。
「30過ぎたら子宮摘出」発言は、これらの現実とあまりにも連続しているし、百田もそれは分かっている。分かったうえで、女性やマイノリティのSRHRを踏みにじって構わないと思っているから、このような「たとえ」によって現実を考えようとする。そのことこそが、問題。
[寄稿]日本知識人の覚醒を促す 和田春樹先生への手紙(2)
https://japan.hani.co.kr/arti/international/23576.html
“日本では東西対立時代の終焉は「脱イデオロギー時代」という浅薄な決まり文句とともに、進歩的リベラル勢力の自己解体という方向で進行しました。社会党・総評ブロックそのものが「55年体制」と称する旧体制に依存してきたことは事実ですが、そのような社会変動の中で新しく進歩的勢力を結集する代案を提示することができないまま、すすんで自壊の道を選んだことが致命的でした。社会党は小選挙区制を受け入れ、自民党との連立も喜々として受け入れました。一貫して国家主義に抵抗してきた日本教職員組合(日教組)は方針を転換し、学校行事での国旗掲揚、国歌斉唱を容認しました。その際につねに言い交された決まり文句は「時代は変わった。もうイデオロギーの時代ではない」というものでした。進歩勢力がみずから「脱イデオロギー」と称して理念や理想を捨てていたとき、右派勢力はむしろ国家主義イデオロギーの砦を固めて反攻の機会をうかがっていたということになります。”
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