“おそらく、より無名ではあるが、おなじようにわが土、わが海、わが川から立ち退きをこばむ人びとの長い列がある。日本の近代史にはいま現在にいたるまで、この「しがみつく者たち」の長い列──悲嘆にくれ、怒りや憎しみにかられ、あるいはあきらめ、途方にくれるその姿が埋め込まれている。そして、すでに土も海も川も喪失し、賃労働者へと変態(その変態が正規、非正規、失業の前提である)を遂げたわたしたち都市市民には、その「しがみつき
」はおのれの損得もわからぬ愚直な頑迷牢固とみなされ、いまにいたるまで嘲笑されてきた。”


08.「しがみつく者たち」に──水俣・足尾銅山・福島から
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 “原子力発電は、鉱山とは異なり、その立地は自然条件よりも、より多く社会的条件に左右された。つまりその立地は、近代日本の不均等発展を直接に反映し、その相対的に「弱い環」に集中した。だが、労働の非人間性、隔絶、汚染といった特徴は、鉱山からそのまま引き継がれている。
 したがって、それはやはり、立地周辺の人びとの生業を、土、川、海から引き剥がすかたちですすめられたし、いまも、そのようにしてすすめられている。
 発電所の内部では、必然的に生命の危険をともなう安全性の配慮の乏しい過酷な労働であるために、使い捨ての不安定労働にゆだねられ、幾重もの下請け構造が構築され、「暴力団」による手配がおこなわれピンハネがあり、困窮者を集める、事故の隠蔽、という構造がみてとれる。
 建設は、地方の困窮につけこみ、住民の抵抗を札束と暴力で分断し、たがいに不信と憎悪を持ち込んだ。
 原発労働者は、廃坑になって職を失ったかつての炭鉱労働者が多く活用された。ここにもまた既視感がある。”


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 “3.11以降、あらためておもい知ることになったこの長い既視感から浮上してくるのは、わたしたちの生に対して主導権を握っている者たちのわたしたちの生への恐ろしいほどの全般的な無関心であり、それを白日のもとにさらけだすしばしば稚拙である嘘や隠蔽を重ねてもひるまない無神経さと残酷さである。この心性とそれをやむことなく生産するこの社会の仕組みは、田中正造を幾度も怒りと嘆きに七転八倒させたものと本質的に変わらない。ここからすれば、生の権力とは、生の政治とは、なんと人を誤った道にみちびいてしまう概念であることか。”

 
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