ピープルのいないところにポピュリズムあり?
——「健全な病理」としてのポピュリズム 
酒井隆史

初出:『福音と世界』(新教出版社)2017年12月号。ibunsha.co.jp/contents/sakaisp

 “いま世界中でそうですが、ポピュリストは、こうした支配的リベラルやエリートの批判をもろともしません。なぜなら、人々の苦境とそれを救いとる回路がないという意識は、その意識がどれほどダメかを言い立てても消えるわけではないからです。それと、この社会がデモクラシー、すなわちピープルによる支配という建前をとるかぎり、それをより実質化させようとする動きとぶつかるのであり、そのジレンマを自覚しない言説は、どうしてもエリート主義、あるいはデモクラシーの否認という火種をそのうちに抱えてしまうからです。

結論の先取り的になりますが、わたしは、ポピュリズムはデモクラシーが過小なところには必ず生まれてくると考えています。これをデモクラシーの過剰とみなしてしまうところに、リベラリズムの限界があります。”

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 “ポピュリズムは、このように理念上ではピープルに主権を与えるということ、実態上では支配や搾取・収奪にピープルがさらされているということの亀裂からあらわれてきます。少し逆説的な表現ですが、ある種の「健全な病理形態」なのです。

ホワイトハウスにポピュリストが君臨した現在の事態は、おそらく、デモクラシーを代表制というかたちで抑え込み、かつ資本制のもたらすヒエラルキーを中和させる、といった20世紀に主流であった社会の構成が根本的なデッドロックにつきあたったことの表現です。そして、この「病理」を、権威主義的ポピュリズムは、デモクラシーを抑え込むかたちで「解決」しようとします。それに対して、――人間が生き延びるべきであるとして――、唯一の見込みのある方向性は、ただひとつ、デモクラシーをもっと深化させる道のみである、とわたしは考えます。”

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