『徐京植 回想と対話』
第Ⅰ部 自己形成と思索の軌跡
koubunken.co.jp/book/b600260.h

──振り返って今の日本を見ると、あの九〇年代の議論全体は何だったんだろうと思わざるをえません。私はその時、「天皇制とはプレモダンとポストモダンの結託だ、癒着だ」と言いました。天皇制は近代以前のものだが、民主制を超えたものだ、ということを都合よく言ってしまうと、それは近代以降の天皇制の責任、日本国家の責任を無化する「はぐらかし」にしかならない。しかし、まさに今、天皇制を問題にする日本人はますます少なくなっており、たとえばリベラル派の論客として知られる内田樹氏は、自分は「立憲デモクラシーと天皇制は両立しない」と考えていた時期があったが、いまでは「天皇主義者に変わった」と宣言しました(『朝日新聞』二〇一七年六月二〇日)。国家には「政治指導者などの世俗的中心」とは別に、天皇のような「超越的で霊的な」中心がある方がよい、と公言しています。それに、ほとんど誰も異を唱えないようになってしまいましたね。

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第Ⅰ部 自己形成と思索の軌跡
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──言うまでもなくこの議論は、第一に、フランス革命を経て人類社会が積み上げてきた普遍的価値に対する破壊行為であり、第二に、天皇制によって犠牲を強いられた人々(特にアジアの戦争被害者)の視点をまったく欠いた、「他者不在」の修辞です。
 このような意味において、日本はポストモダンがプレモダン(天皇制)を超えることができなかったというか、プレモダンがモダンも経由しないままポストモダンの姿を借りて延命していると感じます。

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第Ⅰ部 自己形成と思索の軌跡
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──朝鮮について言えば、旧植民地出身者は戦前から日本に住んでいて、当時までよかれあしかれ日本国籍保持者であり、限定的だけど参政権もあったのが、全部ゼロになる。そういうとんでもないプロセスが、当事者との相談もなく日本社会で大きな問題となることもなく進行したのが戦後憲法の制定過程です。女性参政権などを強調して「新しい民主国家の夜明け」とか言っている傍で他者の否定が進行した。他者を否定しない形で戦後日本が出発していれば現在のようではなかったと私は思います。
 典型的には、憲法一〇条の「日本国民の要件」と一一条の「すべて国民は、基本的人権の享有を妨げられない」に現れている。「国民」は原文で「people」ですから、それを「国民」とし、その国民は「国籍保持者」であると限定的解釈をして、換骨奪胎を図っていく。こういう言葉に対するシニシズムっていうのは、ある意味では日本の奥深い伝統で、ロゴス(言語的理性)に対する冒涜でもある。恣意的に違う解釈をしてそれを押し通すというところは、歴代の日本政府が論理的な説明もしないとか、勝手な解釈を押し通すということにも通じていると私は思います。

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第Ⅰ部 自己形成と思索の軌跡
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──ヨーロッパ中心主義との訣別の問題ですが、建前であれ普遍的な理念というものを考え出し、それを全世界に対して発信した場所はヨーロッパですよね。それはどこまでも建前に過ぎないと言えばその通りなのだけれど、そういうものが全くない時代、比喩的に言えば法治ではなく人治のような時代から一歩抜け出ることができたわけでしょ。それが一八世紀、一九世紀を通じて、ヨーロッパにおける血みどろの闘いを重ねた結果がだんだん出てきて、ナチズム・ファシズムの経験をしながら、一九四八年に世界人権宣言に至った。世界人権宣言は実力の裏付けがないから、どこまでも呼びかけにとどまっているとしても、そういうことを呼びかけた最初の事件ですよね。あれがなかったら日本国は戦後憲法もなく、戦中のままだった。日本の戦後憲法の導入過程もそうですね。戦後直後の調査会は戦前の天皇中心主義を引き継ぐという案を作っていた。

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第Ⅰ部 自己形成と思索の軌跡
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──そういうことを考えると、私たちのこの問題に対する態度は当然二重的ですが、この二重的であるということは欺瞞的だということではなく、そういう理念を肯定し、それを励ましながら、その理念を裏切っているシニカルな現実を批判していくことが基本的態度でなければならないと思う。

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