「声高な主張でないところが良い」小説の解説や書評などで、ポジティブな評価として時々見る。直接的に書くよりも表現技法として優れているといった意味なのかな、と思う一方でそれだけではないだろうとも思っている。何かについての文章は、対象よりもそれを受け取っている人の考えをよく表すと思っているから、その人にとってのためらいや蟠りがあるのだろうな、と捉えている。

小説というか、フィクションそのものが「声高な主張」だと私は思っている。それが読みたい。

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