「今日、愛については誰も語っている。だれが怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であることのしるしである。
切に義人を思う。義人とは何か──怒ることを知れる者である。

今日、怒の倫理的意味ほど多く忘れられているものはない。怒はただ避くべきものであるかのように考えられている。しかしながら、もし何物かがあらゆる場合に避くべきであるとすれば、それは憎みであって怒ではない。」(原文ママ)三木清、人生論ノート

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沖縄県読谷村村役場の玄関正面の壁に、「怒」の大書が掛かっていたと、清水真砂子の文章は続いている。

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