さわりだけ。かなり昔、一九八四年は最後まで読み通せなかった。途中を飛ばして結末を眺めた覚えがある。至るところにあるスクリーンの音と光の印象が強く、読んでいて気持ちが沈んでいった思い出もある。
近頃「オーウェルの薔薇」(レベッカ・ソルニット)を読んで、全体のストーリーを知った。

 
脱北者が読むジョージ・オーウェル
本の栞にぶら下がる
斎藤真理子iwanami.co.jp/smp/book/b631503

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ハヤカワ文庫のあとがきにそうしたことが書いてあったような気がする。ブラッドベリの華氏451度の方かも。

“『ジョージ・オーウェル──「人間らしさへの讃歌」』(川端康雄、岩波新書)を読むと、最初のページに「いまでは不思議なことに思えるのだが、昭和時代中期の日本の論壇において、ジョージ・オーウェルは政治的左派や進歩的知識人の多くから忌み嫌われていた」とある。『一九八四年』の日本語版(吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋)は朝鮮戦争が始まる少し前の一九五〇年四月にGHQのお墨付きで刊行され、冷戦体制下の反共小説として流通していたそうだ。
 私も、そうした空気の名残のようなものをほんの少し知っている。件の知人はオーウェルを大変尊敬していたが、それだけに「『一九八四年』は、韓国じゃ反共の教科書なんだろうな」と憂鬱そうな顔で言っていた。”
脱北者が読むジョージ・オーウェル
 
本の栞にぶら下がる 斎藤真理子
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