今日の院ゼミの後、ある学生から質問を受けた。その学生は近世史専攻(村の大庄屋の役割などを研究中)なのだが、「思想史とか哲学と、私たちが普通勉強している歴史学の違いって、どの辺にあるんですか?」という、結構答えるのにやっかいな質問だった。僕は実は歴史学のディシプリンを会得しているわけでもないし(僕はたまたま歴史学科に雇われているが、宗教学者とは自認できても、歴史家とは到底言えない)、どう答えるか少し思案していたが、「哲学も思想史も、実は今現在の自分(我々でも良い)にとってどういう意味が見いだせるか、というのが大きな意味を持つ。歴史も過去を教訓に、というのはあるが、それは別に実証的なものではない。古代の哲学を学んだり、その時代に可能性を発揮できなかった思想を研究するのは、やはり翻って今現在の我々にとって“使える”かどうか、というところに帰着するのではないか」などと喋り、一応納得してもらった。異論は色々あるだろうが、「死んだ子の歳を数える」ように見える思想研究の営みにも意味があると言いたいだけだ。