すべての別れを季節の終わりが包み込むということなのか?それっぽい理論は頭の中ではあるけど、これがちゃんと理解できないと先に進めない気がする

アーモンド入りチョコレートのワルツ内の短編が、季節の終わりを示す文章で終わっているのにこの前読み直してようやく気づいた。

でもこの手法だと立ち上がりが遅くなるから初手のインパクトが必要になるのか

演劇とかだと難しい部分がありそうだけど、ある程度の長さを持たせられる小説やゲームとかだとパブリックとプライベートを相互に行き来してグラデーションを作る手法が普通に成立しそう

プロセカやってた頃のメモだけど、それなりに面白いこと言ってるような気もする

本筋として試合が面白いというのが根本にあって、それを映画という媒体でやるときにどのようにコントロールすべきかを考えている話であって、いい映画を作るにはという土俵で戦っていないように思える(これは非難ではないです)

THE FIRST SLAM DUNKの映画、改めて見てみると、スポーツマンガから見たスポーツの面白さと、スピードのコントロールを上手く組み合わせているという感じなのかな

考えれえば考えるほど来年5月までにオリジナル8万字ぐらいって無謀な気がしていますが、まあ頑張っていきます…。

機龍警察家にあるやつを全部読んでいた

中山可穂の崩壊家庭の描き方本当にすごい

どう考えても誰かのファンで人生を終えることはできず、自分でしか自分の人生を生きれないという

こんだけ小説書いてきてやっとルビを振ることの重要性を理解した

もしかして今まで文字数が足りないと思ってたのは圧縮されてたからなのか?

自分の小説を読み直して、いいところ思っているよりいいなの気持ちと、圧縮されすぎだろという気持ちがやってきた

小説を書いていてチャンクとして捉えられると思ったところで一行改行を入れることで処理しやすくしているけど、このチャンク化自体が正しいかどうかの検討はまた別途なんだろうな

絶対そんなことないんだけど西村賢太の小説の主人公になったみたいな気持ちになることがある

姉夫婦の家族会議を聞き、結婚って大変なんだなと思うなど

カート・ヴォネガット、ちゃんと読んだほうがいいな

仕事、明らかに今までと違うステージにいると思いながら仕事している

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