アンゲラ・シャーネレク『ミュージック』観た。まず、固定カメラのライブ配信じみた映像の連なりを「映画」と呼ぶことに抵抗したい気持ちが強い。極端なロングショットも演出的な効果をあげてるとは思えず退屈さが募る。

ただでさえ分かりづらい不条理劇のような話をことさら混乱するように語ってどうするのか。「説明を排した」と書けば聞こえはいいが「説明を放棄した」だけとしか思えない場面が多い。演出家の勿体ぶった態度を「神話的」と評する鑑賞者の感性にも疑問。

映像作品における台詞やモノローグの重要性から目を逸らしておきながら音楽には無批判な信頼を寄せる。ほぼ全編に渡って迂遠な演出を誇示しながら泣く・叫ぶなどの感情の発露だけはベタに撮る。演出家の分裂したスタンスが厳しい。いかがなものか。

と、嫌味っぽい感想を書いてみたが、実はそこまで不快な作品でもない。

先述のとおりシャーネレクの音楽に対する根拠レスな信頼に疑問を抱くが、演奏・歌唱パートの撮影は確かに力が入っており一定の感心は覚える。印象的な挿入歌の存在もあり『ミュージック』の題を冠するに相応しい風格はあると言ってもひとまず差し支えないだろう。

刑務所の浴場で入浴用の下駄が高々と掲げられたあとに放り投げられる場面も映画の転換点として記憶に残る。誰がなんのためにそんなことをしたのか一切説明はないが(そもそも脚本レベルでの説明を殆どしない作品だ)、意味の存在しない純粋な「運動」が映画を色付かせる(ゆえにメタレベル・演出レベルでは「意味」がある)瞬間に立ち会うのは喜ばしいことだ。

終盤、まさしく「世界の関節が外れるような事実」を知った主人公がふらついた足取りで警察署から出て行く件も嫌いではない。車のブレーキ音と警官の足元だけで事故を示唆し、とりあえず無傷だった主人公(実は死んでたりするのか?)の抱擁に移行する流れはややあざとさを感じるが鮮烈でもある。ラストの横移動も悪くないのでは(タルコフスキーの『鏡』みたいと指摘してる人がいて若干ウケた)。

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全体としては頭でっかちでいけ好かない印象の残る作品だが、同時に擁護したくなるような細部もそれなりに持ち合わせておりなかなか評価に困る作品だった。機会があったら『家にはいたけれど』も観たうえで再鑑賞に挑みたい。

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