子ども食堂、あまり貧困貧困いうとスティグマ化して
本当に必要な子が行きづらくなる(行く=貧困とバレる)というのもあって難しいんだが、
(だから貧困対策だけじゃない誰でも来ていい地域交流の場だよって言ってるし実際その機能もある)
そもそも貧困は恥ずかしいみたいな偏見の方をどうにかできんもんかな…?
自己責任の呪いで、貧しい=本人が悪いって思い込みがちだけど、
真犯人、政府じゃん?
沖縄では「争うより愛しなさい」というスローガンが問題となった。そりゃあそうでしょう、沖縄は一方的に弾圧されているだけで「争って」などいない。
ずっとずーっと奪われてきただけだ。土地も資源も決定権も。全てを返せと非暴力で訴えている。
非暴力抵抗運動を「争い」と印象操作しネガティブなイメージを持たせたのは誰だ。
「争い」とすることで何も失わずに現状を維持できるのは奴らだけだ。
今ガザで起きているのは民族浄化・ジェノサイドであり戦争ではない。
「争うより愛しなさい」や「憎しみから何も生まれない」などの「名言」をマジョリティは悪用する。
批判の矛先が自分に向かないためにマイノリティの抵抗を「名言」で押さえつけ、それでも溢れる憎しみを「自衛」と称した攻撃で虐殺し殲滅する。
沖縄も、ガザも、争ってなどいない。
一方的な民族浄化に「停戦」と呼びかけることには違和感しかない。
世界は黙ってみているだけ。
パレスチナの人の言葉が突き刺さり、次の瞬間同じ言葉を多くの日本人へ向けたくなる。
性的少数者だけでなく多くの何かしらの当事者コミュニティでは必ずと言っていいほどに起きる出来事なのだけど「エリート主義」の問題が生じる。エリート主義というのは「選ばれし条件を満たした者だけが○○を名乗れる」という姿勢のこと。
例えば…
「異性と少しでも付き合った奴は同性愛者じゃない」
「性行為したことがある人はアセクシュアルじゃない」
「性別適合手術をしようともしない人はトランスジェンダーじゃない」
「インターセックスは男と女だけで、グラデーションなんかじゃない」
こうした考え方は排外主義的で優生思想的なので当然やっぱり人権モデルとしては支持されない。エリート主義者は「この定義だけが当事者の正解なのであって、それ以外の理解は偏見だ」と言い切ってしまうことで、コミュニティに踏み絵を要求し、それが人権侵害になっていることに気づかない。当事者コミュニティにとって大切なのは「包括性」と「人権」だというのはつねづね肝に銘じておきたいところです。
今日は全てのSNSをお休みして、パレスチナに連帯します。
(画像はPalestine.In.Japan様からお借りしました。)
#StopGenocideInGazaNow
#FreePalestineFormZionist
#虐殺をやめろ
#民族浄化をやめろ
#日本政府は虐殺に加担するな
#広島県庄原市議会は虐殺に反対する議決をしてください
差別は人を殺すんですよ。ヘイト本売って得る食う飯は美味いですか? ほんとうに恥を知れと思う。最悪です。
#KADOKAWAはヘイト本を出すな
元気な中年/クリスチャン/おたく/ノンバイナリー/パンロマンティックアセクシャル/既婚