ある駅の思い出話 #ノート小説部3日執筆
こんにちは。今日は私の話をしよう。誰だって? 嫌だな、この駅だよ。
駅が喋ったって? いいじゃないか、喋っても。そうそう、私ができたのは大正も終わりのことだった。だいたい100年前だね。キミのおじいさんやおばあさんより古いかい? もう覚えている人もあまりいないだろうねえ。
ここは大きな街でもなければ重要な鉱石が取れるわけでもない。そこに駅ができたのはね、木材を加工するためだったのさ。山から木材を運んできて、ここで防腐加工をして、それから街近くの工場に運び出していたんだ。ん? 旧名が材木町? よく知っているね。その通りだよ、材木を扱っていたから材木町だ。
防腐工場の他は、まだ田畑が広がっていてね。牛や馬が働いていたんだ。そう、牧場で見たあの動物だね。そこの細い川、今は汚いけど昔は湧き水があってきれいで、そのまま飲んでたんだよ。魚やザリガニが取れたから夕ご飯になったりしたんじゃないかな。信じられない? そうかあ……。
ともかく行き交う列車は蒸気機関車で、誰も彼もススだらけだった。ポーっていって駅に入ってくる姿はかっこよかったなあ……あ、ごめんよ、キハくん。キミだって力強くてかっこよくて……何の話だっけ。そうそう、真っ黒な蒸気機関車が青い田んぼの真ん中を走っていくんだ。今でも復活させてたまに走ってるんだよ、見たことある? 住宅街の中だけどね。
そんななか戦争が起こったんだ。何しろここは田舎だったから、人々もB29が遠くに飛んでいくのを見ていただけだったけどね。出征していく兵隊さんが若い女性に手を振って、彼女が顔を赤らめて……。ああ、そんなこともあった。おじいさんとおばあさんのそのまたおじいさんとおばあさんだって、その時はキミと変わらない歳だったのさ。
戦争が終わって、車や自転車が走るようになった。ある女性は毎日自転車で大きな川まで草刈りに行ってね、牛馬を飼っていた農家に売っていたんだ。駅の前だってじゃり道だったけど車がひんぱんに通るようになったもんだ。牛や馬もだんだんいなくなっていって、田畑には家が建つようになった。
そのうち機関車もキハくん――気動車になってね、駅員さんの持つ鉄道時計も手巻きじゃなくなった。それから国鉄が民営化して、この線路も私鉄のものになったんだ。それでも列車はこの線路を走り続けた。山と街をつなぎ、毎日欠かさず走った。
そうそう、当時は油槽所……石油を一時的に貯めて置く施設もあってそこに支線が伸びてたんだけど、この頃にその仕事が終わって取り外されてしまったね。それから車が走りやすいようにじゃり道も舗装された。そしてそこの踏切、あれが動いてカンカンいうようになったんだ。うん、最初からそうだったわけじゃないんだよ。もっとも私にとってはつい最近のことさ。
そして20年前、新しく駅舎が建て直されることになった。この前の駅舎はね、木造でボロくて暗くて、小学生にはまるでお化け屋敷だって言われてたんだよ。今は白壁できれいだし、大きなトイレもできた。いいだろ? 窓も大きくて明るい。目の間にはバスのロータリーだ。小さいけどね。
それはいいからって? そうか、自慢なんだけどな。……近くに車の陸橋が通ってるだろう? あれはそのあと出来たものだよ。線路のこっちと向こうは行き来しにくかったからね。そうしてどんどん便利になっていったんだね。逆に鉄道を使うお客さんは減ってしまったけれど。残念な話だ。
この頃になってようやくタブレット閉塞もなくなったわけさ。閉塞? ええと、列車同士がぶつからない仕組みだね。列車が鍵を持っていて、その鍵がないとその区間に入れないんだ。わかる? 駅でチン! って音聞いたことない? そうだね、今は使わないもんなあ。駅員さんも常駐しなくなっちゃって、寂しくなったね。
icカードは使えないのかって? ううん、そのうち使えるようになるかもしれないね。自動改札機が入るのとどっちかな。不便だ? まあそうかもしれないけどさ……。
また時々来ておしゃべりに付き合ってくれよ。今度、町内会のお祭りが駅前広場でやるからさ。私鉄のイベントもあるんだよ。楽しんでいってくれたら私は嬉しいな。
#ノート小説部3日執筆 近代日本縛りより、お題「平成」 大震災の話が出てきます。バトルもので、残虐描写があります。
「平成イベントゲーム」
『マナブ。男性。十九歳。平成イベントゲームに登録しました』
二〇一一年一月。スマホに知らないアプリが追加されていることに気がついた。
「なんだよこれ」
アンインストールしようとするが出来ない。突然アプリが起動した。
「な、何だ?」
『対戦相手が現れました。現在金貨五十枚。いくつベットしますか?』
「対戦? ベットって賭けか?」
アプリを閉じようとするができない。
「くそっなんなんだよ」
『一分以内にベットする枚数を決めない場合は、自動で一枚と設定し戦闘が開始されます』
「意味がわからん」
スマホの電源を切ろうとするが反応しない。
『一分経過しました。一枚で設定します』
突然光に包まれ、謎の空間に飛ばされた。
「なんだここ!」
手に持っていたスマホがない。代わりにSF風な銀色の剣を持っていた。
「おや、その反応はルーキーだね」
声に反応し顔を上げる。女性がいた。俺と同じような剣を持っている。
『ミレイ、五枚ベット。マナブ、一枚ベット。戦闘開始まで五秒、四、三』
「ちょ、ちょっとまって!」
『二、一、開始』
女性は一瞬で俺に近づき、腹を切り裂いた。
「あがっ、あああああ!!」
大量の血しぶきが、自分の腹から目の前へ上がる。このまま死ぬのか? 嫌だ――嫌だ嫌だ!! 必死に這いつくばって逃げようともがく。
「バイバイ、ルーキー」
胸に硬い刃物が入る感触。俺は死んだ。
――そう思った。
気がつくと俺は、元居た場所に戻っていた。
「はっ、はっはっ」
恐怖で息が乱れる。体を確認するが傷はなかった。
スマホから通知音がなり、震えながら画面を確認する。
『リザルト:LOSE。ペナルティ、友の交通事故。残り金貨四十九枚』
え? 友の交通事故? 俺は友達や知り合いに連絡し、事故にあっていないか確認した。みんな無事だった。友とはコウスケのことだろうか。数年前、交通事故にあって片足を失くしている。嫌な予感がした。
あれから一週間した頃だった。またアプリが起動した。
『対戦相手が現れました。現在金貨四十九枚。いくつベットしますか?』
「嫌だ、辞退する」
ペナルティが、対戦が怖い。
『一分以内にベットする枚数を決めない場合は、自動で一枚と設定し戦闘が開始されます』
無視かよ。
「一枚で」
また光に包まれ、謎の空間に飛ばされた。目の前には男性がいた。前回と同様、自分も相手も剣を持っている。
ペナルティを受けたくないなら勝つしかない。
『タカシ、六十枚ベット。マナブ、一枚ベット。戦闘開始まで五秒、四、三、二、一、開始』
六十枚? 多い気がするがそれどころではない。相手を切りつけるが、かすっただけだった。
「くそっ」
カウンターを喰らい心臓を貫かれた。うめき声を出す代わりに血を吐き出し、後ろへ倒れる。体温が徐々に奪われ、視界が暗転していくのを感じた。
気がつくと元居た場所に戻った。……負けた。
『リザルト:LOSE。ペナルティ、HA大震災、祖父母、いとこの死。残り金貨四十八枚』
HA大震災。一九九五年に起きた大きな震災だ。画面に書かれた通り祖父母といとこが亡くなっている。
「ペナルティ、俺のせいで……そ、そんな」
あれから何度も対戦し、わかったことがあった。
勝つと相手がベットした金貨がもらえる。リワードとして、自分がベットした分に相当する幸運を与えられる。
逆に負けると自分がベットした金貨が相手に渡る。ペナルティとして相手がベットした分に相当する不幸を与えられる。
一から九枚は、身近な人のみに影響を与えた。十枚あたりからは自分にも影響を与えた。
『対戦相手が現れました。現在金貨百二十三枚。いくつベットしますか?』
「二十枚」
目の前には女性がいた。うろたえている。おそらく初めてだろう。
『カズハ、一枚ベット。マナブ、二十枚ベット。戦闘開始まで五秒、四、三、二、一、開始』
速攻で相手に近づき腕を切り落とす。甲高い悲鳴が上がる。そのままとどめを刺した。
俺は相手を攻撃することに慣れてしまっていた。
『リザルト:WIN。リワード、志望大学の合格。残り金貨百四十三枚』
「やった。今までの俺、どこの大学に通ってたんだよ。笑える」
勝ったり負けたりを繰り返し、当然不幸もあったが、幸せなこともあった。勝率も上がり、ベットする金貨の数も増えた。負けさえしなければ人生楽になれる。
俺の感覚は完全に麻痺していた。
『対戦相手が現れました。現在金貨二百三十枚。いくつベットしますか?』
「二十枚」
目の前にはおっさんがいた。
『ノリアキ、五十枚ベット。マナブ、二十枚ベット。戦闘開始まで五秒、四、三、二、一、開始』
五十枚か、多いな。嫌な記憶を思い出す。……HA大震災。
「おっさん強気だね」
「そうだね。もう、あとには、あとには引けないんだあ!」
そう叫ぶとおっさんは剣を振り回した。剣で受け止め、鍔迫り合いをする。そのまま押し切り、体を切り裂いた。
「あっさりとしてたな」
元の居た場所に戻る。
『リザルト:WIN。リワード、T大震災、損害の回避。残り金貨二百八十枚』
T大震災、損害の回避? T大震災ってのがわからないな。何にせよ自分の身に起こることを回避したってことか。
「そ、そんな」
近くに誰かいることに気がついた。道端でうずくまっている。見ると対戦相手のおっさんだった。
「おっさん悪かったな。ありがたく金貨五十枚もらっとくぜ」
「ペナルティ、ペナルティはリーマンショックだ。私は無職になってしまった。金貨は使い果たした。もうゲームに参加できない。終わりだ」
リーマンショック。二〇〇八年に起きたやつか。いや待てよ、それって……。
「大きな枚数をベットし対戦すると、大きな出来事が起きて、それがリワード・ペナルティとして自分や身近な人がどうなるか決まって、つまり――」
自分で言っていて頭が混乱してきた。対戦するだけで日本に、世界に大きな影響を与える可能性がある。ゲームは辞退できない。金貨を使い果たすまで……。
『対戦相手が現れました。現在金貨二百八十枚。いくつベットしますか?』
「……一枚だ」
大きな枚数は賭けない。大きな被害を出すわけにはいかない。
『カガミ、千枚ベット。マナブ、十枚ベット。戦闘開始まで五秒』
千枚!? 対戦相手を見る。俺より歳下くらいか。千枚、どれほどの幸と不幸を繰り返して貯めたのか。いや今はそれどころではない。
「お前千枚ってどうなるかわかってるのか!?」
「フ、フフフ、どうなるんだろうねぇ。楽しみだねぇ」
目がうつろ。こいつ楽しんでるんだ。一体どうしたらいいんだ。千枚……どれほどの規模が起こり、どれだけの人が巻き込まれるのか。勝っても負けても意味がない。
俺たちにとって意味がないゲーム。
『四、三、二、一、開始』
水を切るように、剣で撫でられように、俺は四肢を切り落とされブラックアウトした。
『リザルト:LOSE。ペナルティ、大規模な■■■■■に巻き込まれ死亡。残り金貨二百七十九枚。死亡が確定しましたので、対戦の資格権ははく奪されました』
この戦いで平成の世に何が起きたのか、俺はわからないまま人生が終わった。
#ノート小説部3日執筆 お題「近代日本」とのことで参加してみました!
「ほうじゃのう……」
ひいじいちゃんが、つけようとしたタバコをそっとテーブルの上に置いた。僕はその横に夏休みの宿題ノートを広げている。「おじいちゃんおばあちゃんに戦争のときの話を聞いてきましょう」という宿題だ。僕の家はじいちゃんちとはあんまり仲良くない、と先生に言ったら「加藤くんは親戚の人に聞いてみたり、図書館で調べてみよう」って言われた。とにかく「戦争」の話を聞いてこい調べてこいという宿題。僕はあんまりこういうのは好きじゃない。戦争って怖いし……。
でも宿題だからと、ひいじいちゃんに聞きに来た。ひいじいちゃんは僕にいつも優しくって、遊びに行ったらいつもにこやかにジュースやお菓子をだしてくれる。だからちょっとお話してくれるんじゃないかと思っていたから、僕はいつも笑顔のひいじいちゃんがタバコを吸おうとしたり、疲れたときのお母さんみたいな顔をするとは思わなくて、今どきどきしていた。宿題を出した先生を憎んだりしてる。それでも、ひいじいちゃんは「ええよ」と言ってくれたのだ。
「トシくんは、広島と長崎の原爆の話は知っとる?」
「うん」知ってる。授業でほんのちょっと聞いたことがある。具体的にはよく知らないけど……。
「そんときじいちゃんは、頑張って兵器を作りよった」
兵器を、おじいちゃんが!? 驚いていたら、そのときは子どもも武器を作っていたんだって。僕にはとても考えられない。
「ほいで、広島に新型爆弾が落ちた! 言うとったら、福山にも大けな空襲が来たんよ」
「空襲? ここでも空襲があったの?」
それなら知ってる。東京大空襲は授業でものすごくやった。僕が戦争が怖くて嫌いなのもこのせいだ。
ひいじいちゃんはタバコに手を伸ばそうとして、またやめる。僕のこと気にしなくていいのに。ひいじいちゃんはタバコに伸ばした手をそのままスライドさせて地図を取ってきた。僕とひいじいちゃんが今いるここ、福山市の地図だ。
「トシくんにはようわからんかもしれんけど、しっかり聞き取るんよ」
いつの間にか眼鏡をかけたひいじいちゃんが、僕の眼を真っ直ぐ見つめる。どきっとする。僕はうなずいた。
赤い欄干のあるお城の前を新幹線が通っていく。そのお城は昔っからあったんじゃないという話から、ひいじいちゃんの長い昭和の話は、始まった。
#ノート小説部3日執筆 今年30歳の男性の追憶です ※一次創作『子々孫々まで祟りたい』のキャラ奥武蔵と和泉豊の話ですが、これだけでも読めると思います
大体の男には、【僕】から【俺】に進化する時があって、これはその時の話。
◆ ◆ ◆
今でも覚えている。小学一年生の終業式の帰り、平成十四年三月。一番仲良しの友達、ゆっちゃんと通学路を歩いていた時。帰ってお昼食べたら公園でポケカしようだのなんだの話ししていたが、ふと、ゆっちゃんがこう言ったのだ。
「ねえ、僕たちさあ、二年生になったら、二人で自分のこと僕じゃなくて俺って言おうよ!」
「ええ!?」
【僕】はびっくりした。【俺】に憧れはあったけど、【僕】たちにはまだ早くない!?
「で、でも、僕たちまだ小さいし……」
「でもさ、二年生になったらランドセルの黄色いの取っていいんだよ! 大人だよ!」
【僕】らの小学校には、一年生はランドセルに黄色いカバーを取り付けなきゃいけない決まりがあった。通学に慣れてない一年生は、車が危険だから、車が気づきやすい黄色いカバーつけなきゃいけないんだって。
でも、二年生になったらそのカバーを外していい。ということは……大人かもしれない。
「大人かも……」
【僕】がそう言うと、ゆっちゃんは嬉しそうにブンブンうなずいた。
「大人だよ! 一緒に、俺って言おうよ!」
「で、でも、まだ恥ずかしい……」
どうしよう、クラスの山中くんも佐渡くんも自分のこと【俺】って言ってるけど、二人とも大きいし、ドッジボールもすごく強いし。【僕】は全然大きくないし、ドッジボールでボールが怖くてすぐ外野に行くし……。
うーん、ゆっちゃんは、別に大きくはないけど、僕よりドッジボールで内野に長く残るし、僕と違ってしいたけもピーマンも食べられるし、大人かもしれないけど……。
ゆっちゃんは、まだ諦めてなかった。
「一緒に俺って言えば、恥ずかしくないよ! 一緒に言おうよ!」
「でも……」
反論しかけて、【僕】は気付いた。あ、ゆっちゃんも、自分ひとりだけで【俺】って言うのはちょっと恥ずかしいんだ! だから、【僕】も一緒に誘ってるんだ!
「えっと、えっと、二年生になっていきなり俺は恥ずかしいから、春休みゆっちゃんと遊ぶときだけ俺にして、練習したい」
そう言うと、ゆっちゃんは「わあー!」と顔を輝かせた。
「じゃあ、今から僕、俺! おっくんも!」
「お、俺……」
それはすごく気恥ずかしい一言だったけど、その時、【俺】は大人になった気がしたのだった。
◆ ◆ ◆
あれから幾星霜。俺もゆっちゃんも三十歳。大人と言うか、おっさんになった。
いろいろあった。俺もゆっちゃんも、両親はあまりほめられた親ではなかった。それで二人とも苦労した。ゆっちゃんと絶交したこともあった。
でも、大人になって、俺もゆっちゃんもそれなりに平穏な生活を手に入れて、再会して、そして絶交をなしにして。子供時代はいろいろあったけど、今はまあまあ幸せだと思う。大人になるって、自分の生き方を選べて、とても楽だなと思う。
……まあ、俺、未だにしいたけ食べられないんだけどね。
#ノート小説部3日執筆 銀シャリが食べたいのじゃね……/お題:近代日本
シャリとは、白い米粒。白飯。銀シャリ。
(『 語源由来辞典 』銀シャリ の解説 より引用)
あなたは銀シャリという言葉を知っているだろうか。
まるで宝石のように、上品な光沢を纏う炊き立ての白飯。
昭和の食糧難の時代に、麦飯の対比として使われた言葉だ。
舎利より尊いから、銀舎利――
令和の現代では、どうだろうか。
平成を経て、確かに白米は誰でも手に取れるものとなった。
だが、物語性を内包した尊さは――
想像の中だけであっても、直接向き合ってみなければ真摯ではない。
◆◇◆
銀シャリを食べるなら朝がいいが、炊くなら午後がいい。
昼に素麵でも食べた休日、日が傾く前が望ましい。
それまではエアコンの効いた部屋で、文字に向き合うといい。
名文を味わい、特有の読了感を感じる時分――
(ああ、腹が減った――)、と
ふと夕食のことを俄に考えた時が合図だ。
粒がそろった、割れが少ない米なら品種は問わない。
すでに精米されて、一粒一粒が白く輝く米を幾分か測り取る。
そして、さっと水で洗う。
ざらざらと手の中で、米の感触を感じる程度でいい。
30分の間、しっかりと浸水する間に、アテを用意するといい。
あなたが合うと思ったなら、何を合わせてもいい。
きょうは銀シャリが主役である。
…………
……
時間がきた。
しっとりと艶が増した二号の白米を、土鍋に移す。
銀シャリを炊くなら、土鍋がいい。
土鍋に頼るのは、決して手間と愛情によるものではない。
土鍋を使って炊く白米こそ、最も容易に銀シャリ足り得るものだからである。
400mlのお水を土鍋へと注ぎ、舞い上がった白米を、少し平らにならして蓋をする。
そして、コンロのスイッチを回す。
点火プラグにパチパチと火花が飛び、青々とした火が灯る。
まずは、火を中火に弱め、沸騰するまで加熱する。
どうせなら、日の傾く中、鍋の前に立って待つのもいい。
目をつむって、ただ待つ。
すると、土鍋の中から、少しずつ、かすかな泡立ちの音が聞こえてくる。
それが次第に大きくなり、囁き声はふつふつとした――
まるで湧き水のような音に変わるのが合図だ。
土鍋の蓋から、かすかに、米の甘いが混じる蒸気が立ち上がる。
西日に当たりながら、腹が減っていることを嫌でも思い出す。
だが、幸せな思い出の裏で、米は水を吸い上げ膨れ始める。
弱火に変えて15分を待つ、この時間がまさに銀シャリを炊く上での本領である。
銀シャリは――熱伝導率が高くない鍋で、じっくり火入れをすることで生まれる。
弱火に当てられた白米は、でんぷんを糊化させて、あのもちもちとした食感を生む。
この時間がふっくらとした銀シャリには不可欠だ。
白米の香りは一層強まり、豊潤な香りが周囲の空気を満たすころ――
音が次第に穏やかになったところで、最後の蒸らしの段階へ入る。
火を止め、蓋を閉じてしばらく待つ。
期待をして待つ時間に、茶碗を用意しアテを器に盛るといい。
小葱と豆腐が浮かぶ味噌汁。
真っ赤な梅干しと、味のいいキムチを少し。
茶碗を用意するころには、蓋を開ける瞬間が來るだろう。
窓から差し込む夕陽を明かりに――
閉じ込められていた湯気と熱気が、ふわりと広がる。
無意識に喉が鳴る。
湯気の奥に待つ炊きあがった白飯は、まばゆい銀色に輝いている。
一粒一粒が粒立ちのよく、ふんわりふっくらとした言葉が似合う。
そんな、銀シャリを、しゃもじで茶碗に盛りつける。
◆◇◆
銀シャリを食べるなら、ちゃぶ台の上がいい。
少し背筋を伸ばし、目の前のご飯を見つめる。
ふっくらとした炊き上がった白飯は、まるで小さな宝石の集まりのように輝いている。
構図で見ると、梅干しとキムチに味噌汁。
質素な夕飯だ――が、それでいい。
使い慣れた箸先で、ふわりと米粒を掬いあげる。
すると、湯気と共にあれほど感じた甘い香りを、諸君は今一度感じることだろう。
一口、口元に運ぶ。
唇としたに振れた米粒は、一粒一粒がもっちりと柔らかく弾力があるもの。
それが、粒が立つということである――
きっと、事実として、白飯が持つポテンシャルを実感できることだろう。
銀シャリは、決して飲むように食べてはもったいない。
初めは少しずつ、ゆっくりと嚙み締めるべきである。
柔らかくも感じる軽い歯ごたえ。
その内側から、もっちりとした質感が現れる。
米のほんのりとした甘みは、嚙めば嚙むほど増していく。
砂糖では感じられない、上品な甘を口の中で解き放ちながら、胃への奥へと送り込む。
これが、晴れの日のご馳走であった時代が確かにあった。
そして、今も尊ばれる理由は確かにある。
本当に美味い。
再び、銀シャリを掬いあげて一口。
味、香り、触感に再び心が奪われる。
現代でも真に美味な白飯におかずなんて、必要はない。
だが、あればあるに越したことがないのが、おかずというものである。
小皿に開けた、梅干しを一口。
赤紫蘇に包まれてシワがよった丸丸としたものがいい。
酸っぱさの中にある特有の塩味を感じた瞬間――
口の中で、唾液がぐっと漏れ出し――否が応でも、銀シャリが茶碗から掻き込まれる。
果肉が崩れ、酸味と塩味と甘みが溶け合い味覚の洪水が押し寄せる。
米が進む、ああ米が進む。
やっぱり、結局白飯は上品ぶって食べるより、がっつくほうが満足できる。
ならばキムチは、米のアテの中でも最良の一つだと言えるだろう。
平成に入って、食卓の仲間入りをした赤赤とした飯の友を一口――
口に広がるのは、淡い酸味としゃくしゃくとした食感。
そして、しっかりとした辛味のコンビネーション。
漬け込まれたニンニクと唐辛子の香ばしさ。
丸みを帯び、発酵がもたらす複雑な風味にこそ、銀シャリが合う。
乱暴に箸で白飯を送り込みむ。
辛みが移った米は、がつがつと噛めば噛むほど甘みが混じり、食の進むもの。
そんな箸休めに、味噌汁が、恋しくなるというものである。
味噌は飲みなれた味がいい。
出汁も具も好きな物でいい。
葱と豆腐の組み合わせも“例”に過ぎない。
器を持ち、箸で豆腐を崩さないように一口すする。
心地よい暖かさと、葱の風味が味噌のコクと絶妙に絡み合う。
口の中で、豆腐が軽やかに崩れ、葱のシャキシャキとした食感を楽しむと――
まるで遺伝子が求めるように、銀シャリに箸が伸びるのだ。
銀シャリの優しい甘みと、味噌汁の旨みが溶け合い、噛むたびに一層豊かな味わいが広がる。
口の垢が落ち着いたところで、再びアテを頼りに銀シャリをかき込む。
この工程を繰り返していれば、気づけば一粒残らず茶碗が空になっているはずである。
食べ終わった後の茶碗の底を見つめるこの時間が、銀シャリの醍醐味でもある。
既に日は落ち、未だ土鍋には湯気が立ち上っているはずである。
もう一杯を楽しまれるのも、また自由である。
ノート小説部タグ有、金カム二次創作。明治家永先生夢
あれはまだ、修行に入り、まもない頃
「君、その、失礼なことを聞きますが、サラシで胸を潰していないですか? 」
家永先生にそう訪ねられました。仕事中に着物が崩れないようになるべく胸を潰して、着付けをしているのに気付いた先生が怪訝に聞いて下さっていました。
「はい、仰る通りですが。それがなにか? 」
「サラシで胸を潰すのは正直、体に良くない、洋装にかえないですか?? 着物とは裁断や縫製が違って体の線に沿って仕立ててくれるので楽になりますよ。私も背広を仕立てているでしょう。洋装は動きやすいですよ。」
「は、はい。では、そのように。」
確かに先生はこの頃は仕事着としてスーツを仕立て、おくつろぎの時は浴衣や着流しでといった生活をしていらしました。
ワタクシは洋装に馴染みなく、実家では海外からの貿易品に洋装も御座いましたが、自分で袖を通す頭はなく、あくまでも商品で華族のような方に売り物として出すために扱う感覚でした。
「 近くに懇意にしている仕立て屋があるので、次の休みに一緒に行きましょう。」
後日、先生と仕立て屋様に向かいました。まだまだ着物の人間が多い中、男性は洋装も増えておりましたが女物は少なく、仕立て屋様も、まだ余り数をこなしてはいないが良いものを作りますよ。と何種類かの生地を見立てて下さいました。 繻子やゴブラン織り、ベルベット。着物とは風合いの違う布は色とりどりで、ヨーロッパの絵画に出てくるドレスの布のようなものもありました。 先生は丹念に布を触り、吟味され
「こちらなど似合いそうですよ。」
と深い臙脂のベルベットをワタクシにあてがって下さいました。
「確かに良くお似合いで。」
店主様もうやうやしく頭を下げましたわ。 ワタクシは特に身なりにこだわりは御座いませんでしたので、その深い臙脂を自分でも一撫で二撫でして柔らかさに微笑み。
「では、こちらで。」
とお答えすると、店主様は数枚のデザイン画を持って参りました。 それも先生は良く吟味して、胸や肩の膨らみに広がるスカート、元のデザインになにやら別の意匠を描き加え、ワタクシにそれを見せ。
「こういうのはどうですか?」
と、微笑まれました。ふんわりとした袖に襟は高く、胸元には花の刺繍があしらわれ、上半身は体に添っているが、スカート部分はふわり持ち上がり長さは十分だが引きずるほどでもなく、皮のブウツと合わせて脚を見せない意匠になっており、
「まるで絵画の貴婦人のようで素晴らしいですわ。」
なんだか照れてしまい、少し頬が熱くなった記憶がございます。洋装は下着等も和装と全く違うそうで、コルセット、バッスル、ドロワーズ等と余り耳慣れない下着と、こういったものも便利ですからと服の中に身につけるポケットという。体に身につける巾着袋のような物も用意するよう仕立て屋に申し付けておりました。
ワタクシも、もう少し実家の仕事も真面目にやっていれば良かったですわね。 と内心思いながらテキパキと洋装の為のオーダーをして下さる先生を眺めておりました。
身体中を店主様に測られる時は恥ずかしくもありましたが、先生のご提案を無下にしたくはなく、胸の寸まで大人しく測られました。
後日出来上がった洋服を受け取り、慣れぬ服の着付けの仕方を先生に教わる事になりました。
「私の母がね。洋装をしていたことがあるので、知っているんですよ。」
三河のお坊ちゃまだとは伺っていましたが、ご母堂様が洋装を着こなしていた等となんてハイソなお家柄でしょうと感じておりました。 先生に下着から丁寧に着付けられて、まだ生娘でしたワタクシは、むず痒く気恥ずかしい気持ちで溢れておりましたが、先生からすれば患者様の肌を診るのと何ら変わらないようで、意に介されていない様子が、ワタクシばかり恥ずかしいというところに拍車をかけて、肌が紅色に染まっていたように感じました。
帯より少し食い込むコルセットが胸を強調する曲線を描くのがまた少し恥ずかしくなりましたわ。
ただ確かにドロワーズは下が解放されないので脚さばきも良く快適でした。
「バッスルはまぁ、煩わしければはずしてもいいかもしれないですね。」
等と良いながら下着をつけさせ。その上にポケットを引っ掻けて下さる。
「割りと物が入りますし、スリなどにも遇いにくいので便利ですよ。」
と声をかけ、いよいよワンピースに脚を入れ、腕を通すと背中の釦を一つ一つ慈しむように留めてくださる。先生を感じ全身が更にカッと熱くなる。
「そこに腰をかけて下さい。」
椅子の上に腰を下ろすと、先生が跪き、ワタクシの爪先を取られたので
「せ、先生一体。」
跳ねる心臓の音が聞かれやしまいか? 目を白黒していると。絹の靴下をスルリと履かせガーターで留められました。両の脚にその作業をした後は同じように皮のブウツを丁寧に履かせて、革紐を蝶々の形に結んで下さる。跪きまるでワタクシの従者のような先生の姿はワタクシを掻き乱しておりましたが、先生はあくまで優雅に丁寧にワタクシのブウツ紐を結わえるのです。
人間の 縫合を、何度もお側で見ていますがその手付きの優雅さは同じくして至高にございました。
ワタクシに立つように促し、その場でクルリと回るように仰いました。その通りに致しますと
「美しい。大変美しいですよ!! これからも着付けは手伝いますから」
敬愛する師がはじめてワタクシの容姿を褒めてくださった。それはなんとも言えませんでした。ワタクシはこの服を着る事でナニに成ったのか……。 先生が望むならワタクシはワタクシで無くても構わない。複雑では御座いましたがそれどころではなく。 何より医師としての修行が大切な時期でしたので、その服は先生が買ってくださいましたが、同じものを洗いがえとして、親のお金でも数着注文致しました。
先生はナニをお求めになっているのでしょうか……浅慮なワタクシには図りかねましたが、少しの間お側にあれば見えてきたものもございました。
でも、しばしの修行の後は、縁組みされワタクシは強制的に先生と引き離され、時代に則した妻という生き物を短い時間、演じておりました。
そんな生活のずっと後、死刑囚になった先生と再会した時には、先生の服装はあの時仕立てられた服と同じ型の色ちがいといった意匠の物をお召しになられていて、やはり先生はナニか……ご自分ではないナニかを求め、ワタクシに投影されていた……その人物は、先生のご母堂様なのかもしれません。だからと言ってワタクシ達の絆が途切れたり、ワタクシ先生から離れる事も御座いませんが……
かすみほどの寂しさも覚えたのです。
#ノート小説部3日執筆
#ノート小説部3日執筆 『モラトリアムに、ミレニアム』
『卒業したくない』
ほんの気の迷いで発した言葉がこんなことになるなんて、当時の少年は思っていなかった。
日付は6月25日。この少年にとっては実に25回目の“1999年”だ。
「7月で世界終わるらしーじゃん?なら今の内に青春しとこっ!」
何度も聞いた同級生の声。何度繰り返しても、ノストラダムスが予言した大魔王は来なかったし、世界は滅びなかった。
「そうそう!2000年問題?ってやつが来る前に、パーッと遊ぼうぜ!おいメガネ、お前も来るだろ?」
こちらも何度も聞いた。うんざりするが、嫌な顔すると何を言われるか分からない。適当に、最適な相槌を打つ。
「いいね。行くよ」
「うっしゃ!それでこそダチ!」
クラスメイトから肩をバシバシ叩かれる。多少肉体と財布に打撃はあるが、これが一番軋轢を生まないやり取りだ。
社会への漠然とした不安。噂に聞いた就職氷河期。そもそも決まってすらいない進路。
少年にとって、未来とは見据えるものではなく、見たところでどうしようもないものだ。そんな彼は卒業式のその日、屋上でぽつりと呟いた。
「卒業したくない。ずっと学生でいたい。どうせ大した人には、なれないんだから」
そして気がつけば、彼は高校最後の進級式の場にいた。新学期から始まって、卒業式になったら、また新学期に戻ってくる。
初めこそ驚いたが、繰り返せば慣れていく。いつ、どこで、誰が何をして、その結果はどうなるのか。テレビ、ラジオ、雑誌も同じことを知らせるせいで、全部内容を覚えてしまった。
――
7月になっても、何事もなく日が過ぎていく。
「最悪ー!“のすとらだます”ウソつきじゃん!」
校則にギリギリ引っかからないくらいのオシャレをした同級生が叫んだ。世界の終わりを信じ込んで、宿題を放り投げてきたらしい。
「まぁまぁ。世界は終わらないんだし、もっと楽しんだらどう?」
少年はすかさずフォローに入る。こうしておくと、秋の体育祭で足を引っ張っても、彼女たちの罵声が飛んでくる確率を下げられる。
「ナニソレ、まだまだ遊べるってコト!?メガネまじ良いこと言うわ〜!」
「まじやばー!」
羨ましい。あんなにのうのうと生きていて。世界がどうなってるかも知らないで。まぁあと数月経てば、日本の未来がどうこう歌うアイドルが出てくるのだが。
――
大予言の熱が冷めきらない夏休み。同じ日々を繰り返してきた少年にとって、なんとか自力で見るものを変えられる期間だ。さっさと宿題を済ませ、あとは旅行にでも行けば、少なくとも新鮮な情報は手に入る。
一字一句違わない問題集。同じ題で何度も書いてきた小論文。相変わらず白紙の進路調査書。嘘でも何か書くべきだろうが、それでも思い当たる所はない。
勉強はそれなりにできるが、入試で通じるかは別問題だ。就活なんてもってのほか、今どき高卒は難しい……。
結局、進路調査書以外を片付けて、現実逃避を決め込む。こういう時は決まって、少年はいつも自室のベランダから街を眺めている。繰り返しより前からずっと、街の景色は変わらない。
夏でも、夕暮れ時はそれなりに涼しい。すぐ目の前で日が落ちれば、あとは紺青の空に星が散る。じっと眺めれば、ほんの少しだけ、悩みも晴れる。幼い頃から何度も見ているが、これだけは飽きない。
少年はふと、何度もやってきた高校生活を振り返った。
世界滅亡(しなかった)もミレニアムの新年祝いも、同級生たちと一緒に過ごしてきた。さすがに10回を超えたあたりから退屈になったりもしたが、飽きてノリが悪くなっても彼らはお構いなしだ。それもそうだ。少年にとっては何回も見た景色だが、彼ら彼女らにとっては初めての、そして金輪際ないであろう祭りなのだ。
もし繰り返していなければ。今は2024年、平成36年だ。昭和だって64年続いたんだから、平成だって50年くらい続くだろう。大正くらい短かったらアレかもしれないが。
きっとその頃には、就職も楽になって。世界はもっと豊かになって。自分は幸せな家庭を持っているんだろうか。
少年にとっては絵空事だ。どうせ21世紀を迎えることはない。2000年でさえ、ほんの3ヶ月分をかじるだけで、次の4月はまだ1999年だ。正しい意味でミレニアムを見た事はないし、おそらく、きっと今後も無い。
――
蛍の光窓の雪。早いもので、もう卒業式になってしまった。
少年にとって25回目。卒業証書の受け取り方も、すっかり様(さま)になっている。
式は滞りなく終わった。いつも通りあっさりした最後だ。教室に集められ、担任の話を聞いて、それでおしまいだ。
このまま屋上に行けば、またすぐに26回目の進級式が始まる。とはいえ、皆と一緒に記念撮影に行く勇気はない。
気を抜くと脚が屋上に向かってしまう。アルバムを覗いて気を紛らわせたり、黒板の寄せ書きを眺めたり、とにかく必死で防ぐ。
繰り返したくない。馴れ合う気も起きない。そもそも卒業したくない。だがこの生活はもうしたくない。もうここには居たくない。しかし行き先は思い当たらない。
ないない尽くしの堂々巡りで、何もできずに涙だけが溢れてくる。
「ちょっとちょっと、メガネ大丈夫?」
アルバムを抱えた女子が顔を覗き込む。手には油性マーカーが握られている。
「そんな泣くことないじゃ〜ん。ウチら、卒業してもズッ友でしょ?」
「……ずっとも……って、友達?」
少なくとも友達と呼べるほど、馴れ合った思い出はない。ただ一介のクラスメイトであり、ただの背景役だった気がするが。
「そーだよ、一緒に“みれにやむ”の祭り行った仲じゃん?のすと……なんちゃらの時も、宿題見してもらったし」
「えっズルい!アタシも見してもらいたかった!」
「早いもん勝ちで〜す!」
ようやっと理解した。悩むなんて馬鹿馬鹿しい。ただただ、今を楽しむだけだ。少なくとも彼らの“友達”である以上、そうするべきなのだろう。
「おめーら!下で写真撮ろーぜ!オヤジがスゲーカメラ持ってんだよ!なんか銃みてぇなやつ!」
「ナニソレウケる〜!見たい見たい!」
女子は楽しそうなモノに走っていく。本能的に生きているのは、少年にとってはやはり羨ましいものだ。
「お前も来るだろ?」
男子からの問いに、少年は涙を拭って、慣れない笑顔を見せた。
「いいね。行くよ」
何人かと一緒に教室を出ていく。それ以降、少年が教室に戻ることは無かった。
今は6月25日。令和6年、平成で言えば36年。
決まらない未来の話は苦手だが、どうやら私は、過去を正確に綴るのも苦手なようだ。
――――作家██ █の未発表原稿より
#ノート小説部3日執筆 「平成転生物語」お題:近代日本縛り
「平成は引退しました。あーあ」
笑い声のように乾いた、無機質の音が転がる。私は声がしたほうを向いて、ビビッドな色彩の山に眉を寄せた。
三原色のプラスチックブロックの山。その上に転がる魔法の変身アイテム。たまごから出てこない電子ペット。
ファー、ブルスコと未知の生物が鳴いている。
――足の踏み場がない。
プラスチックブロックの角を踏まないように、私はベランダの窓へと手を伸ばした。
「いやもう令和六年だけど、今さら?」
からら、とガラス戸を開ければ雨上がりのひんやりとした空気が部屋に入り込む。するとウワーッと情けない悲鳴が部屋の奥で上がった。
「わたくしは諦めないぞ! ここだけ平成とする!」
「軽率に時空ねじ曲げんでもろて」
カラフルな山から細い腕が突き上げられた。裸電球を模したLEDライトが柔らかく照らす部屋の主は、オーバーサイズの白いTシャツ一枚と下着だけの姿で山の上に大の字になっていた。
「とどのつまり」
部屋の主――ああ、ルームシェアの片割れ、名前を原田という。原田はがばりと起き上がり、壁際にうずたかく積み上げられた長方形たちのひとつを手に取った。薄いそれから8mmCDが顔を出す。ぱき、という音と共に取り出したそれをコンポに放り込む。
「わたくしは美少女戦士にもなれず、魔法使いにも会えず、勇者と旅する女の子にもなれなかった」
「まあ、そうだろうね」
「黄色い子犬なんてどこに探したっていやしない」
こんなにも不幸せなことがあろうかと言わんばかりのルームメイトに、私は盛大にため息を吐く。そろそろ片腹が痛いのでプラスチックブロックの山に埋葬してやろうかと、よくない考えがよぎりはじめた。
「令和もいいものだよ。楽しいこともあるし……」
「六月のくせしてアホみたいに暑いのに!?!?!?」
「ここが暑いのは君が六月にもなってクーラーを修理せずに窓を閉め切っているからです」
あと片付けろ。私はリビングに戻ろうとして、ブロックを踏みかけた。ブロックの角を踏んで痛みに悶絶しあえなく死亡した場合、彼女を罪に問えるだろうか。
「まあ、懐かしむのは簡単だ。未来も悪くないなんて言いたくもないけど……とにかく、良いこともある」
「たとえば」
「このご時世にもなってフィルムカメラの新作が出た!」
ややトーンが明るくなったのが、自分でも分かる。反面、原田の目は冷ややかだ。
「君、もう持ってるじゃないか。……何台も」
中古品。うってかわって冷静に言い放つ原田の視線から逃れるべく、私は彼女の部屋から出た。
「それにしても暑い。かき氷作ろう」
「あっ、逃げた。緑色でお願いします」
「はいはい」
部屋の奥から飛んでくる声に返事しながら、私は冷蔵庫を開ける。
女の子の笑い声みたいな、かわいいプラスチックの音。わたくしを笑っている。平成の亡霊といえば、少し意地の悪い言い方だ。
ふと横を見れば、魔法の変身アイテムが転がっているのが見えた。天井へと突き上げていた手でそれを掴み、その切っ先を虚空へ向けた。
「マージマジ、マジカルマジカル」
適当な呪文を唱えながらボタンを押す。ポップで明るく、ひび割れた音がそれから流れて、窓からの陽光にかき消されるようなライトがアイテムを輝かせた。
「ここが平成になぁれ」
眠たい声で言ってみた。カセットテープみたいに令和が平成に巻き戻るなんてそんな非現実があるわけないと思いながら、わたくしはくるくると変身アイテムを振り回し――。
窓の外から爆音が聞こえてきて、私はペンギンの頭の上のレバーを回すのを止めた。
「なにごとよ」
「わ、ワ……」
ブロックの山から転げ落ちた原田が、口をぱくぱくとさせて窓を指さしている。そちらを見れば、登ってこられるはずもないベランダに、人影があった。逆光でどんな顔立ちなのか、うかがい知ることが出来ないが兎に角、多分、女の子だろう。どこか見覚えのある魔法少女の格好をしている。いや、でもいまのご時世、魔法少女の格好をした男子だっているので断定は出来ない。
「ここを!」
魔法少女が叫ぶ。断定する。女の子だ。魔法少女は水はけの悪い狭いベランダに仁王立ちになって、私たちに叫んだ。そして、小柄な装いのどこから出してきたのか、額縁を取り出してきた。
「平成とする!」
その額縁の中には達筆な字で、平成と書かれていた。まさに政府の偉い人が「平成です」と見せつけていたアレそのものだ。
「マジ? ほんもの?」
「違います!」
「アッはい……」
「でもここが平成なのは事実です!」
やけに堂々と叫ぶので、隣近所に迷惑だからやめろと言い切れず、私は口を閉ざす。原田は相変わらず、何かを言いたげに口をぱくぱくとさせて、まるで鯉のようだった。
「本当に、平成?」
「はい!」
きっぱりと言い切る魔法少女が眩しくて、私は目をそらす。壁にかけたカレンダーにはたしかに平成と書かれていて、目眩を覚えた。
一度リビングに引っ込み、カバンを漁る。緑とゴールドの使い捨てカメラを取り出して原田の部屋に戻り、私はとりあえず、魔法少女に向けてシャッターを切ったのだった。 #ノート小説部3日執筆
#ノート小説部3日執筆 #一次創作 $[font.serif 1998年10月27日、横浜]
その日の放課後に情報学習室に行くと、電源を入れた5台のパソコンのスクリーンセーバーに流れて来る文字が「YOKOHAMA BAYSTARS V1」に書き換えられていた。きっとタカハシ君が早朝に勝手に忍び込んで設定を変えたのだろう。この様子だと教室の全部のパソコンが書き換えられているに違いない。僕はあまり野球は詳しくない(というかあんまり体育会系の話題は好きじゃない)から、横浜ベイスターズが38年ぶりにプロ野球の日本一になった、というのがどれだけすごいことなのかよく分からなかった。タカハシ君は運動神経ゼロのくせにプロ野球の大ファンで、横浜スタジアムに頻繁に通っているらしかった。パワプロの製作スタッフに参加するのが将来の夢で、コナミに入れなかったら死んでも良いと言っている。すこし馬鹿だと思う。
放課後に顧問から情報学習室の鍵を借り、教室の20台ある生徒用パソコンのうち窓側の5台に電源を入れるのがコンピューター技術部の最初の仕事だった。暗幕が閉め切りっぱなしのこの部屋を使う生徒はエアコンを操作することができるので、夏は涼しく、冬は暖かい。そんな快適な部屋を目当てにして、ヤンチャな生徒も集まってくる。
僕が3DCGをモデリングしていると、茶髪の男子が派手に引き戸を開けて入ってきた。トーヤマ君は片手にビニール袋、片手にガリガリ君を持って、僕のほうに近づいてくる。
「だから、情報学習室は飲食厳禁だよ」
僕が呆れながら言うと、トーヤマ君はニヤニヤしながらビニール袋からパピコを取り出した。
「いいじゃん、ミサワっち、食えよ」
「食べないよ、怒られるから」
僕が首を振ると、トーヤマ君はパピコとガリガリ君をビニールに戻して、先生たちの席にそれを置いた。
「水滴付くからほんとうにやめてよ」
僕が言うと、トーヤマ君は耳をほじりながら先生用のちょっと高級なオフィスチェアにもたれて座った。
「いいじゃん、皆のために買ってきたんだぜ、食おうぜ」
「そうやって共犯増やしたいんでしょう、駄目だよ」
僕が言うと、トーヤマ君は露骨に舌打ちして、ビニールを取り上げた。
「んだよ、つまんねえ」
トーヤマ君はビニール片手に情報学習室を出て行った。きっと職員室の冷凍庫に入れてもらおうとダラダラ生徒指導の先生に甘えるに違いない。彼のことだからきっとうまくやってしまうと思う。これが野球部の部室の冷蔵庫となるとそうはいかないだろう。
トーヤマ君は不良生徒だけれど悪くなりきれなくて、学校の不良仲間にもなじめずに校内をふらふらしている渡り鳥だった。ある日は吹奏楽部のいる音楽室へ、ある日は演劇部が稽古をしている視聴覚室へ。体育系の部活動にはめったに寄り付かない。例外として、真面目に練習をしない柔道部やバドミントン部は相手にしてくれるようだった。
僕の目の前のパソコンでモデリングが完成して、あとはレンダリングが終わるのを待つだけになったところで、コンピューター技術部のただ一人の女子生徒、シムラさんが教室に入って来た。
「おいっす」
雑に挨拶してみせるシムラさんに、僕も努めて無関心を装って挨拶を返す。
「こんちはー」
シムラさんは勉強しなくても数学で満点をとれるほどの数学特化型人間で、コンピューター技術部で「唯一」まともにプログラミングができる部員だった。以前、シムラさんが「暇つぶしで作った」というスーパーマリオのクローンゲームをやらせてもらったことがあったけれど、これが絶妙な難易度で、こういう人がゲームクリエイターに将来なるのだろうな、と、すこし僕は自信を失いかけているのだった。
パソコンのなかでCGのレンダリングが進んでいる間、僕は手持ち無沙汰になって、二席空けて座っているシムラさんを横目で見る。シムラさんは腕組みしたり、首を傾げたりしながらも、ひたすらプログラミングを進めている。おしゃれっ気のないひっつめた髪はそれでも艶やかに教室の蛍光灯を跳ね返していて、肌もニキビすら一つも無くて、綺麗だなと思う。
「ミサワくん」
突然呼ばれて、僕は同級生なのに姿勢を正してシムラさんに返事をする。
「はい」
「先生用の机の水滴、あれトーヤマ君でしょ」
「はい」
「拭いといて、雑巾は向かいの水道に引っかかってるの適当に使っていいから」
画面から目を離さずに言うシムラさんに、僕は素直にうなずいて教室を出て雑巾を手に取り、また戻って水滴を拭く。
「それ、なに作ってんの」
やはり画面から目を離さずにシムラさんが訊いてくるので、なんのことかと一瞬戸惑ったけれど、それはきっと僕の作っているCGのことだった。僕は水滴を拭いた先生の席から、自分が使っていたパソコンの席に戻って、作っていた作品を見つめながら、つぶやいた。
「なんだろう、犬、かな」
首を傾げてしまうのには訳があった。球と円柱で組まれた積み木の出来損ないみたいなものを犬と呼ぶのは自分でも恥ずかしかった。でも、学校の貧弱な演算速度のパソコンでCGを作るとなると、これくらいが限界だった。県内でWindows98が導入されるのは早くても来年度かららしい。この学校に来る頃には僕たちは卒業している気がする。
「それが犬、か」
そう言って、シムラさんはキーボードを打つ手を止めて、天井を見上げながらため息をついた。何だか僕は情けない気分になって、思わず謝ってしまう。
「ごめん」
すると、シムラさんはこちらに振り向いて首を傾げる。
「何で君が謝るの? 学校のPCがザコなだけじゃん」
「うん、そうなんだけど」
僕がシムラさんの言葉にすっかり怯えていると、シムラさんは椅子から立って僕の隣の席に座り、じっとこちらを見据えて言った。
「うちの親がNVIDIA搭載のPCを買ったんだ」
「エヌビディア、って?」
「グラフィックボード。画像処理専用のチップを追加できるパーツ。それがあれば今よりずっと綺麗なCGが速いスピードで作れるようになる」
そう聞かされて、僕は素直にうらやんだ。
「いいなあ、僕も使いたい」
するとシムラさんは、僕が今まで見たことのない表情で微笑んで見せた。
「いいよ。それ使ってゲーム作ろうよ、二人で」
そのときのシムラさんの笑顔が僕にとって一生忘れない笑顔になったことを、ここに書き記しておく。その笑顔に対して僕は何のためらいもなく頷くことができた。その勇気は自分でも褒めてやりたいほどの英断だったと思う。
「うん、作りたい」
すると、引き戸をバシーン! と大きな音で開けて、パピコの片方をチューチュー吸いながら、タカハシ君が情報学習室に入ってきた。
「おめでとう日本一! 横浜ベイスターズ!」
#ノート小説部3日執筆 #一次創作 $[font.serif 1998年10月27日、横浜]
#ノート小説部3日執筆 #一次創作 $[font.serif 1998年10月27日、横浜]
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