#ノート小説部3日執筆 #一次創作 $[font.serif 1998年10月27日、横浜]
その日の放課後に情報学習室に行くと、電源を入れた5台のパソコンのスクリーンセーバーに流れて来る文字が「YOKOHAMA BAYSTARS V1」に書き換えられていた。きっとタカハシ君が早朝に勝手に忍び込んで設定を変えたのだろう。この様子だと教室の全部のパソコンが書き換えられているに違いない。僕はあまり野球は詳しくない(というかあんまり体育会系の話題は好きじゃない)から、横浜ベイスターズが38年ぶりにプロ野球の日本一になった、というのがどれだけすごいことなのかよく分からなかった。タカハシ君は運動神経ゼロのくせにプロ野球の大ファンで、横浜スタジアムに頻繁に通っているらしかった。パワプロの製作スタッフに参加するのが将来の夢で、コナミに入れなかったら死んでも良いと言っている。すこし馬鹿だと思う。
放課後に顧問から情報学習室の鍵を借り、教室の20台ある生徒用パソコンのうち窓側の5台に電源を入れるのがコンピューター技術部の最初の仕事だった。暗幕が閉め切りっぱなしのこの部屋を使う生徒はエアコンを操作することができるので、夏は涼しく、冬は暖かい。そんな快適な部屋を目当てにして、ヤンチャな生徒も集まってくる。
僕が3DCGをモデリングしていると、茶髪の男子が派手に引き戸を開けて入ってきた。トーヤマ君は片手にビニール袋、片手にガリガリ君を持って、僕のほうに近づいてくる。
「だから、情報学習室は飲食厳禁だよ」
僕が呆れながら言うと、トーヤマ君はニヤニヤしながらビニール袋からパピコを取り出した。
「いいじゃん、ミサワっち、食えよ」
「食べないよ、怒られるから」
僕が首を振ると、トーヤマ君はパピコとガリガリ君をビニールに戻して、先生たちの席にそれを置いた。
「水滴付くからほんとうにやめてよ」
僕が言うと、トーヤマ君は耳をほじりながら先生用のちょっと高級なオフィスチェアにもたれて座った。
「いいじゃん、皆のために買ってきたんだぜ、食おうぜ」
「そうやって共犯増やしたいんでしょう、駄目だよ」
僕が言うと、トーヤマ君は露骨に舌打ちして、ビニールを取り上げた。
「んだよ、つまんねえ」
トーヤマ君はビニール片手に情報学習室を出て行った。きっと職員室の冷凍庫に入れてもらおうとダラダラ生徒指導の先生に甘えるに違いない。彼のことだからきっとうまくやってしまうと思う。これが野球部の部室の冷蔵庫となるとそうはいかないだろう。
トーヤマ君は不良生徒だけれど悪くなりきれなくて、学校の不良仲間にもなじめずに校内をふらふらしている渡り鳥だった。ある日は吹奏楽部のいる音楽室へ、ある日は演劇部が稽古をしている視聴覚室へ。体育系の部活動にはめったに寄り付かない。例外として、真面目に練習をしない柔道部やバドミントン部は相手にしてくれるようだった。
僕の目の前のパソコンでモデリングが完成して、あとはレンダリングが終わるのを待つだけになったところで、コンピューター技術部のただ一人の女子生徒、シムラさんが教室に入って来た。
「おいっす」
雑に挨拶してみせるシムラさんに、僕も努めて無関心を装って挨拶を返す。
「こんちはー」
シムラさんは勉強しなくても数学で満点をとれるほどの数学特化型人間で、コンピューター技術部で「唯一」まともにプログラミングができる部員だった。以前、シムラさんが「暇つぶしで作った」というスーパーマリオのクローンゲームをやらせてもらったことがあったけれど、これが絶妙な難易度で、こういう人がゲームクリエイターに将来なるのだろうな、と、すこし僕は自信を失いかけているのだった。
パソコンのなかでCGのレンダリングが進んでいる間、僕は手持ち無沙汰になって、二席空けて座っているシムラさんを横目で見る。シムラさんは腕組みしたり、首を傾げたりしながらも、ひたすらプログラミングを進めている。おしゃれっ気のないひっつめた髪はそれでも艶やかに教室の蛍光灯を跳ね返していて、肌もニキビすら一つも無くて、綺麗だなと思う。
「ミサワくん」
突然呼ばれて、僕は同級生なのに姿勢を正してシムラさんに返事をする。
「はい」
「先生用の机の水滴、あれトーヤマ君でしょ」
「はい」
「拭いといて、雑巾は向かいの水道に引っかかってるの適当に使っていいから」
画面から目を離さずに言うシムラさんに、僕は素直にうなずいて教室を出て雑巾を手に取り、また戻って水滴を拭く。
「それ、なに作ってんの」
やはり画面から目を離さずにシムラさんが訊いてくるので、なんのことかと一瞬戸惑ったけれど、それはきっと僕の作っているCGのことだった。僕は水滴を拭いた先生の席から、自分が使っていたパソコンの席に戻って、作っていた作品を見つめながら、つぶやいた。
「なんだろう、犬、かな」
首を傾げてしまうのには訳があった。球と円柱で組まれた積み木の出来損ないみたいなものを犬と呼ぶのは自分でも恥ずかしかった。でも、学校の貧弱な演算速度のパソコンでCGを作るとなると、これくらいが限界だった。県内でWindows98が導入されるのは早くても来年度かららしい。この学校に来る頃には僕たちは卒業している気がする。
「それが犬、か」
そう言って、シムラさんはキーボードを打つ手を止めて、天井を見上げながらため息をついた。何だか僕は情けない気分になって、思わず謝ってしまう。
「ごめん」
すると、シムラさんはこちらに振り向いて首を傾げる。
「何で君が謝るの? 学校のPCがザコなだけじゃん」
「うん、そうなんだけど」
僕がシムラさんの言葉にすっかり怯えていると、シムラさんは椅子から立って僕の隣の席に座り、じっとこちらを見据えて言った。
「うちの親がNVIDIA搭載のPCを買ったんだ」
「エヌビディア、って?」
「グラフィックボード。画像処理専用のチップを追加できるパーツ。それがあれば今よりずっと綺麗なCGが速いスピードで作れるようになる」
そう聞かされて、僕は素直にうらやんだ。
「いいなあ、僕も使いたい」
するとシムラさんは、僕が今まで見たことのない表情で微笑んで見せた。
「いいよ。それ使ってゲーム作ろうよ、二人で」
そのときのシムラさんの笑顔が僕にとって一生忘れない笑顔になったことを、ここに書き記しておく。その笑顔に対して僕は何のためらいもなく頷くことができた。その勇気は自分でも褒めてやりたいほどの英断だったと思う。
「うん、作りたい」
すると、引き戸をバシーン! と大きな音で開けて、パピコの片方をチューチュー吸いながら、タカハシ君が情報学習室に入ってきた。
「おめでとう日本一! 横浜ベイスターズ!」