>対話とは、「異なる他者と出会うことで、自分自身が(他者と共に)変わってしまうこと」。そして、他者と出会うことは、根源的に暴力である。その暴力性によって生まれる「痛み」は、正当/正常なものであり、対話に向き合う者/自己の変容に向き合う者は、その痛みを引き受けなければならない
「対話の暴力性」について考える|Ippei Oshida https://note.com/i_oshida/n/n1efe50694e55?utm_medium=email&_hsmi=287856134&_hsenc=p2ANqtz-8geg9xVAAg-xKrEHFMsgvBP0y8iQDpBfjThU4SOyL8VYoImazbm263AomWDGUhcPN1RuQoEae9cTsETUpkinvjIDSMmg&utm_content=287856134&utm_source=hs_email