本業がまさに斬るか斬られるかという場面もあったりして半月ひと月があっという間に過ぎてしまいます。とはいえ若くもない身、この日々もいつかは終わりが来てしまうことは自明の理です。4年前に描いたものをBridgy Fedのためしを兼ねて。『Discontinuity』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2020/03/discontinuity.html
#たゞ玉響の夢
仕事がてんやわんやの中Twitterは放置のまま先月末で投稿を取りやめましたが、動画もYoutubeチャンネルを廃してFediMovieに移してサイトからのリンクも修正し、メディアはいちおう下記の通りの体制となりましたので改めてまとめました。
2月のBluesky開設告知広告は昭和30年代末の活版印刷をイメージしましたので、今回はそこから数年あと、昭和40年代半ばの写植組みオフセット印刷風を目指してみました。
4月になっても地味に仕事が多く、しかも若い頃にはなかった季節の変わり目で体調崩しつつとあっては如何ともし難いところです。
久々に町並みの背景をちゃんと描いてみました。竹本家の近所で、府立紹鴎森高校(を想定している場所)から徒歩11分の通学ルート途中にあたります。
このあたりは4年ほど前にひと区画まるごと更地になって周囲から浮いた高級そうな4階建てのアパートが立ちました。 #たゞ玉響の夢
『南神合町』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/04/blog-post_21.html
ことしは特に3月に輪をかけててんやわんやの日々が続き、気がつくと4月になってしまいました。あの年のユキヤナギは、ことしよりも早く花が咲いていたように思います。それからもう9回目の春が来ました。
「ユキヤナギ」#たゞ玉響の夢
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/04/blog-post.html
世間の事どもに接し続けなければならない稼業を続けていますと、一瞬の刹那に過ぎない今を、絶対で永遠のものと思い込んでしまう、人の哀しき性故の出来事に、世界は満ちていると感じます。
その刹那の瞬間でも、とてもとても長く感じた子どものころ、若いころの感覚が成せる事なのでしょうが、だからこそ古今東西の老若男女は、過ぎゆく刻のあまりの早さに気づくある年かさに達すると、感覚と現実との相違に戸惑い、哀しみ、そしてなにがしかの抵抗を試みたりしてきたのでしょう。
きょうもまた、その戸惑いと哀しみを心の隅にしまいつつ、僅かばかりの抵抗を試みる一日が過ぎてゆきます。
『春の午後』
https://sozertsaniye.blogspot.com/2024/03/blog-post.html
#たゞ玉響の夢
先日往事を思い出しながら思いつくままコピー用紙に殴り描いた落書き漫画を「ぷち」にしました。
80年代の漫画やアニメをいま振り返ると、当時のクリエイターの若者たちが、SFとかラブコメとかロボットものとかに仮託して、「シャバの世界」を「自分の手の届きそうな世界」として再構築し納得しようともがいていたんだなと感じます。そして読者視聴者も、それを求めて読んだり見たりしていたのだろうと。
おそらく幾つになっても、そしていつの時代でも、創作とはそういうものであるのかも知れません。#たゞ玉響の夢
たゞ、玉響の夢ぷち「思春期」
https://sozertsaniye.blogspot.com/2023/12/blog-post.html
Симоку Тачибана творческого объединения «Издательство „Созерцание“» старший тележурналист новостей, автор серии рисованных историй «Просто, мимолетная мечта». Помни о смерти. Вебсайт: https://sozertsaniye.blogspot.com ©Симоку Тачибана, ТО «Издательство „Созерцание“». Все права сохранены. Запрет на обучение ИИ/МО. Я могу Boost посты на Bluesky через Bridgy Fed. #たゞ玉響の夢