この夏確信したのは、スマホで労せず座して世界中から手元に入ってくる情報を「自分の周囲半径5メートルの価値観」で加工し言説を垂れ流す行為が、おおかたの世界人類にとっては、さながら昭和日本のプロ野球応援よろしく「暇つぶしや鬱憤晴らしの娯楽」と化しているのだろう、ということです。

だからこそこの世で自分自身が依るべきものは、誰でもない自分自身による体験と自分自身による研鑽と自分自身による考察に基づく自分自身の判断しかないのではありますまいか。
sozertsaniye.blogspot.com/2024/09/2408...

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昔のこと、私が担当していたのは当時大きく国内の耳目を集めていた案件でしたが、ある日ふと「これだけ連日へとへとになりながらひたすら出稿していても、9割9分の人にとってはせいぜい近所の井戸端会議や職場の同僚とかとの世間話のネタにしかならないんやろうな」と思ったことがありました。

それから20年近く経ったいま、その頃の「世間話」がもっともらしい顔で社会に充満し、あまつさえ人類は自ら垂れ流すそれに振り回され自らの首を絞めるがごとき世界になってしまった感があります。

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