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人生終盤で痛感するのは、人間がひとり一生涯の間に真の意味で成しうるものは、その間に関心を持てる事柄の数に比べると大してないなあということです。
「一生」には、あれもこれも自分が好きなだけ満足するまで成し遂げられるほどの時間的余裕はないようです。
あれを取るならこれを捨てる、論語の「不踰矩」の「矩」も、この限度を指す意味があるのではないのかなと個人的には思っていますし、商業的に大成功している(ように見える)クリエイターも人に言わないだけでいろいろ捨てていることがあるはずです。>BT

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