それまで雑誌の漫画といえば私にとって70年代のイメージ。中高時代の関心の中心は高橋義孝や内田百閒の随筆でしたから、絵が好きとはいえ漫画には関わらずに済んだはずでしたが、振り返れば地主のお嬢さんでいまもプロ漫画家の田中さん(本名&旧姓、PNは別)が同級だったことは大きな引き金でした。
彼女は自身の漫画嗜好は語りませんでしたが(語ったところで私には理解不能だったでしょうが)、絵柄のみならず書き込む文章の言い回し、記号の使い方など、一つ一つが新しく、私が抱いていた「漫画のイメージ」にはないものでした。思えば彼女は当時既にOUTかファンロードの読者だったのでしょう。
彼女の画風に感化されたのち、生徒会執行部室でたまたま見た「花とゆめ」「LaLa」で「これが今の雑誌漫画か」と驚き同じ空気を感じたのも道理。80年代初頭からのわずか数年間に知らないところで少年少女青年のジャンルを超えた漫画変革のムーブメントが広がっていたのでした。
20代になって「ロリコン・美少女漫画」があることを知りましたが宮崎事件後でしたから歪んだエロジャンルにしか見えず、そうなる前の85年頃までは多くの少年少女達が混然と関わった「表現の新潮流」だったこと、また間接的に自身にも波及していたことには気づきませんでした。
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こばしょー(小林紗良)さんは、中学で漫画家デビューし高校で引退された由で、だからこそ大人になってから加わったノイズのない、当時の10代の印象に近い証言をされておられ引用させていただきました。
ただ、氏のTLにもありますが、漫画に限らずブームというものには必ず金の匂いに敏感な輩が群がるもので、現代に顕在化するブラック労働ややりがい搾取等々の社会問題の多くが40年前のこの分野に既に凝縮されていて、人生経験薄い若き「同好の士」たちがそれに翻弄されていただろうこともうかがえます。
コミケ勃興に伴い商業と趣味、労働と遊びの境目があいまいになったことにつけこんだ、安い稿料で(同人合同誌に至ってはタダで)コンテンツをでっち上げるヤクザで安易な出版稼業のカモにもされたわけで、作家の病死や失踪までもたらした構造的暗部は、のち日本社会の全業種に広がった感があります。
前述の田中さんも後年上京して何本か読み切りを描き、さあこれからというところで方針が変わったと編集部からあっさり切られ、しばらく苦渋辛酸をなめたそうです。夢を抱く若者が娑婆に出た時、その無情と無常にどう向き合うか。受ける傷の深さは景気次第で違いはあれど、課題は不変かもしれません。