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こういうこと、受験にかぎらず、たとえばビジネスのカタカナ新語でもよく起きていることだと思う。

「慶應義塾大学がこの問題を出題したのは、とあるメッセージを発信しているのではないかと感じたのです。それは、「英語力を鍛えようとするなら、日本語力から鍛えなければならない」ということです。」

「「抜本的」は「drastic」と表現します。でも、drastic=抜本的とわかっていても、「抜本的とはどういう意味か」が日本語で理解できないと、訳せても意味がわからないのです」

カタナカ新語じゃない言葉、たとえば「安心・安全」とか「患者に寄り添う」とかいった日本語の言葉でも同じようなことが起きていたり。


toyokeizai.net/articles/-/6550

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