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絵を描くために考えている時間と、実際に描いている時間は、別のメソッドが働いていて、描くという行為は身体的なものだし、鑑賞者は身体行為の集積を見るわけだけど、本当に見てほしいのは「見る」ではなくて、そこから「考える」なんだよな。
だから、例えば展示会場にいてお客さんと話せる時に、これは何なのか?何を表そうとしたのか?とかを聞かれると(社交辞令的な会話でもあると思うけど)、それは鑑賞として楽な道を求めすぎなのではと思っている。そして、私も答えようとしすぎている。

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