連合TLを見ると、まあ怒涛の濁流。見えすぎてもしょうがない、むしろ害があるってことを実感できる
https://twitter.com/kotaro_aoki/status/1630822898079518720
「非正規労働者の賃上げが広がっているかのような報道が散見されますが、本当にそうでしょうか。労働相談の窓口には、インフレなのに賃金が上がらず生活が苦しいとの訴えが日々寄せられます。そこで非正規労働者の賃上げ状況に関する調査を始めました。協力・拡散お願いします」
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdCCRQ5zq7o4mGtUNBKcy0qa_ghl5Ox4z4-gP177xnGsgrVFg/viewform
蔵前勝久氏(朝日新聞論説委員)のコメントは広く読まれるべきと思うので引用。
〝この記事を読んで、かつての取材を思い出しました。まさに14年のことです。安倍氏に近い首相官邸スタッフが「最近、テレビは政権批判をやらなくなっていいが、ラジオがひどいな」とし、具体的な番組名を羅列した上で「自民党もラジオまでは、チェックしきれないんだな」と語りました。その番組を放送する会社のトップの名を挙げ、「『何とかしろ』と言っておこう」と言うので、私が「そんなことをすると、安倍カラーの押し付けだ。放送への介入と批判される」と告げると、「バカ。表立って言うわけないだろ。こういうのは水面下で言うんだ」と返答されました。この記事に書かれているテレビの話とは違いますが、「水面下」の圧力とは、まさに、こういうことなんだろうと思いました。
この取材の少し後、官邸スタッフが先に挙げたラジオ番組で安倍政権を批判していた識者が降板しました。〟
>また人身事故か…なんて社会だ
https://twitter.com/sl_e__pt___/status/1631462388276015105
ほんとに。ひじょうに象徴的というかなんというか…
自然災害による遅延や運休の増加をあわせて考えても、旧来の「通勤」モデルは瓦解寸前なのでは。それは日本の雇用労働のあり方全般にかかわってくるので、つまりは日本社会にとって根本的な問題であるように思う
(コロナ禍のテレワークは、それを再考する一つのきっかけになりえたはずなのだが)
https://fedibird.com/@sl_e__pt___/109959548364401461
このつぶやきがむちゃくちゃ雑なのはわかっているのですがたんなるつぶやきということでお目こぼしください [参照]
貧困が権威主義を育む現象はよく観察されているけど(例えば日本)、その理由は不安やストレスという、従来の考えられていた要因よりも「恥」が重要ではないだろうか、というドイツの研究。
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/01461672221141509
さすがに35ドルは高いなあと思って解説記事を探したら、かなり詳細に説明してくれていたので助かった。
客観的には、極端に言えば暴動とか起こってもおかしくない状況のようにも思うのだが、主体的な条件が根本的に欠けている
補足。
カレツキのような解釈、つまり資本論から有効需要の原理を導く読み方は可能だが、かつての日本のマル経の多くはたぶんそういうスタンスではなかっただろうと思う。ふつうのマル経は、需要面ではなく、やはり生産を中心に考えていた。宇野理論は他のマル経に比べると流通を強調するとはいえ、その講義を受けて<賃金所得増→成長>という発想を軸に日本経済を考えるようになるのかといえば、それは難しいのではないだろうか。
宇野派も分裂していくのだが、そのうちの一つの世界資本主義論の本を最近パラパラ見ていた。それはフォーディズムが行き詰まる少し前の頃に出た本で、戦後資本主義の好景気は曲がり角にさしかかっているという認識が前書きで示されており、そこは的確なのだが、その好景気が大衆消費によるものだとは捉えていないと思う。
まず、宇野派がどのように考えていたのかは措くとして、
じっさい日本の高度成長の主要な原動力は、少し違うものだったのでは。むしろ、輸出、それを可能にする低賃金、といったあたりか。むろん、成長の結果として賃金は上昇し、大衆消費が実現することになったとは思う。
同時期、すなわち50-60s、アメリカはいわゆるフォーディズムで、ここでは賃金上昇→需要増の循環が成り立っていたとされる。当時の日本はこのアメリカという巨大市場にガンガン輸出。そういう組み合わせだった。(この状況から言っても、往年の宇野派にレギュラシオン派みたいな認識があったとは考えにくい)
*戦後アメリカの資本主義を「フォーディズム」と規定したのがレギュラシオン学派。レギュラシオン派は、大まかに言えば、マルクス派、ポスト・ケインズ派、制度派などのミックス。
そういえば先日亡くなった伊藤誠は宇野派だが、日本でレギュラシオン派を早い時期に紹介した人物。もちろん、日本におけるレギュラシオン派は宇野派とは別の流れ。賃金所得増→成長という発想は有効需要の概念にかかわるのでわりとケインズ的ですが、昔のマル経はどっちかといえばケインズを敵視しがちだった。
(カレツキがまさにそうであるように、資本論からケインズ的な含意を引き出すことは可能なのですが。)
「大衆消費に依拠しておきながら、労賃の切り下げだけ考える、日本の経営者が経営者として単にバカなのだと思う。『資本論」くらい読め、である。
(高度成長期、東大経済学部は宇野派のマルクス主義経済学の拠点で、そこで企業経営に携わる会社員たちが教育されたのは、多分偶然ではない)」
というツイートを拝見して、
・当時の宇野派が「高度成長は大衆消費に依拠する」という認識を持っていたといえるのか
・ていうか、日本の経営者はマル経の影響を受けたから労賃をあまり引き上げず労働強化に勤しんだ、という可能性はどうだろう 笑
と思い、
調べずに済む程度のことをいくつかメモ的にツイートしたが、それをここでまとめておく(ツイートは消す)