闇のたじはると光のたじはるがラブリーステッキで殴り合う絵面でバカほど笑っちゃった https://youtu.be/VcGG1xS35_U?si=WELMqSGTBcAXh6ou
ーー近年、創作界における「ボーイズラブ」や「百合」と呼ばれる作品が、ストーリー面で現実のセクシュアリティの多様性と当事者における葛藤を取り込む動きが見られます。私は、これは娯楽作品が非当事者によるフェティシズムを越えて様々なセクシュアリティを持つ人々の連帯へとつながることを期待しています。
一方でエンタメ作品が現実における社会問題を取り扱うことには、その当事者が置かれた社会的問題構造自体を娯楽として消費しかねない危うさも常に感じています。
そこで問われるものこそ、「志」に他なりません。
「『零合』創刊に寄せて」逢坂冬馬
百合総合文芸誌「零合」創刊号を読み始めたら、逢坂さんが巻頭言的な文章で問題提起されていた。
『言葉の風景、哲学のレンズ』(三木那由他/講談社)読了。
めちゃおもしろかった〜!
「「どういたしまして!」の正体」、「給料日だね!」、「ぐねぐねと進む」が特に印象に残っている。『布団の中から蜂起せよ』で書かれている矛盾が矛盾のまま語られている、っていう指摘に、わたしもそこが魅力的だなあと思ったのですごくうなづいていた。わたしは「私の一貫性」として過去の答え合わせの「今」を要求されていると思っていて、だけど人はそんなに簡単に一直線な思考も人生も持てないよね、そのぐねぐねした時にこんがらがった来歴や思考が(他者に判断を委ねるような言葉になるが)許されないかなあと思っているので。たとえば私もフェミニストだったり、アナキストだったりするけど、澁澤龍彦という存在や彼の著作を好きだったりするし、その複雑性ってなんだろうか、その複雑性は成り立つかということをずっと考えてて、「これを待っている」は「じゃあこっちは全否定する」(しなければ成り立たない)の一貫性が、「今私はここに存在しているのに?」と自分自身の実存に対する疑いをずっと私に抱かせている…とか。
あと、言葉と約束、前提の共有についてとかいろんな面白い視点が得られて「まさにレンズだ!」って思った。日常を見る眼差しが変わる。
#読書 #fedibird
ヤ、ヤンキーくんと化学ごはん面白ェ〜〜〜……
私が本を読んだり色々感じたことをわざわざ書き残したりするのって「人間としての成長」とか「自己研鑽」みたいなことのためじゃなくて なんていうか…好き嫌いとか、性分?性癖を深く掘り下げること…? 自分の感じたことを雑に扱わない練習というか…主にバイブスが上がって欲望が満たされるからやってるのよな…
毎日8時間寝ます