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中国語の歌にハモりがあんだけど、和声学きちんと学びたいまであるな
なんでテンションとかアプローチノートとか挟むんだよ。迷子になるだろ
常に主旋の上に串団子でくっついてるハモりが恋しいよ…

忘年会までに間に合うといいな
ぐらいの気持ちで

ただ、忘年会という催事は私のスケジュール帳にはないのだが

ひょんなことから中国語の歌を覚えるミッションが発生したが、これはよい。頭の刺激がこれまでとは全然違うとこに及んでいる。
でありながらも、幼稚園の頃から誰もがやってきてるメロディを覚えるという作業のおかげでそこまでストレスはない。
発音が聞き取れないのをストレスに感じるのではなく「なんだこの発音?」とワクワクしながら耳から入った情報を新鮮な気持ちで身体化していく作業が楽しい。

自民党が滅んだら日本は変わるんですかねぇ

マギーはもういなくなってしまったけど、この世界にまだジュディがいることに乾杯。90歳おめでとう

鬼リピの流れに任せてチャイ語歌ってみたいなんていうんじゃなかった。どうすんだこれ…orz

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こちとらそんな話してねえんだよって返しされると、もうめんどくさいからごめんなさいって言っちゃう。議論も説明も一切放棄する。しかも相手が自分の主張しかしない場合はなおのことだ。もういい、そこまでってやつ

愛の押し売りほど悪辣なものはない
そう言い切りたいぐらいにその押し付けを嫌悪している

いつもいつも同じこと同じ話題を自分が書いている気がしてついには書くことに飽きた
自分に飽きたと言ってもいい
飽きたから書くのをやめた
やめてみて全く違うところから言葉を引っ張ってくることを探り始めた
言葉を手繰り寄せるその糸を変えることで思考も変わると思ったからだ
サピア=ウォーフ仮説ってのは反証もしっかりあるけれどそれは「言語が思考を規定する」と理解されてるからだ
だがウォーフが言った実際はこうだ
「言語は認識に影響を与える思考の習性を提供する」
僕は自分の思考が習性化することを嫌ったのだ
いつも何もかもどいつもこいつも同じことばかりでうんざりする
そう思ったとき
自分こそを疑うべき

ペデストリアンデッキを飾る幾千もの光の粒の前に子どもたちがはしゃぎ、大人たちは明るい顔だ。
昔からこんなもの要らないと思っていた自分がアップデートされていく。

「星座みたいなもんだよ」

アキトは肩をすくめた。
「星と星との関係性はまったくないんだ。距離もばらばらなんだ。なのにそれを遠くから見ている僕たちが勝手にこぐまみたいだ白鳥みたいだ、と縁付けていく」

小さい頃に泣き虫だった僕がほとんど泣かなくなったのは大人になったからじゃなくて一生の涙のうちのほとんどを幼かった僕が使ってしまったからなのだろう。そう気づいてからが本当の悲しみの始まりだった。その悲しさに流す涙さえないと気づいた時、僕は絶望した。

美術館を出ると老夫婦は足を止め、二人で互いのポートレイトを撮り始めた。
撮られる方は照れ笑いを浮かべ、撮る方は慈しみの笑顔。その間をひとつのカメラが行き来する。木々は少しだけ色づき始めていた。

何かがあからさまに変わったかどうかが他人に見えるものなのか、はたしてわからないが、変わったという手応えは強く自分の中にあるので再開

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ひと月経ったからそろそろまた書き始めるよ

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