斎藤真理子さんの力に依るところも大きいな。素晴らしい

坂本の没後、数多の特集本や企画があったけど、何を今更という気持ちで一切触れてこなかった
そんな僕が今号のBRUTUSだけは買った
悪いこたぁ言わんす。これだけは買っておくべし

裁縫が厳しいです
エリザベスすら通らない…

今の僕の耳で「我們的愛」は「woman出会い」にしか聞こえない

そう言っていられるのも今のうちだけかもしれない

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日本は夜中に廃墟へ近づいても危険をあまり感じないね。不思議

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やべえ本だなこれ
本の冒頭って僕にはいつも重いのにするんするん入ってく

あ、本が届いた
本とお布団
スーパーダメダメセットが完成した
本日終了です

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起きた。だりい
カレント日本でいちばん好きなバンドが名古屋に来てるからライブ行こうか布団でぬくぬくしながら迷ってる
布団のアディクティブネスやべえから多分家にいる…を覆す胆力がこの年齢では必要なのは知ってる

夜道を歩いてたらアメショ柄の野良に話しかけられた

若冲はパンクだっての分かりやすくていいけどさ、neat でかつpunk ってのもあるよね。その2つは並立し得るよ
だって応挙ってパンクじゃね?

藤原ヒロシて文字を見ただけでうへえってなるけど、彼がパンクを起点にして違う場所へ行くことに勇気を与えたという一点で、彼を評価したいと思ってる。
そう、パンクに居留まることもひとつの表現だけれど、そこからどこに行くかの自由さと、行った先で垣間見せるパンクの影響というのが他のカルチャーより可視化されやすいのも特徴なんじゃないかな。
それはきっとパンクというものが、表現の具体的な方法やスタイルではなく、最終的には初期衝動や反抗の精神などといったアティテュードがどうであるかによるからだろう。

>たとえばエヴリシング・バット・ザ・ガール(Everything But The Girl)も、トレイシー・ソーンがピストルズをテレビで見て、触発されてパンクバンドを始めて、いまは全然違うことをやっている。でもきっかけがパンクだったというのは、すごく大きなことですよね。

かつてパンクだった人が過去を振り返る時、間違ってないよと自身の過去に微笑みかける人が多い。そう、かつてパンクだったのではなく、今も心のどこかにパンクがあるからだ。

tokyoartbeat.com/articles/-/hi

コマーシャルにウケるポストってマストドンだろうがなんだろうがあるんだけど、そのフォーマットを無自覚だろうが丁寧に踏襲できる人がウケるのは変わらんな
そしてそういう人に僕は退屈する

耳コピとピンインだけ見て中国語の音を覚えようとしたけど、漢字見てからそれに対応するピンイン見た方が頭にドバドバ入ってくるな
日本語での音読みの大量ストックがあるってことが、日本人が中国語を触る際の強力なアドバンテージっすわ

耳コピだけだと上海も障害もshang haiに聞こえるけど後者はzhang'aiって発音しないとGoogle 翻訳でマイク入力で聞き取ってくれない
zhaを聞き取れる耳になってないってことね

自分を検体として人間の生理的機能の再確認だ

持たざる者のふりをする持てる者には辟易するね

音は貴重な外部からの情報源ですもんね。親の声のトーンで怒ってるのか喜んでるのか判断しないといけないわけですから。
音と音楽、または発話などといった区分は発達・学習期においては区別がなく、その状況で自己の快・不快を手がかりにしていっていつか音楽を認知していくのでしょうね。
ともかく興味深いです。

幼児の音楽的発達について。めちゃくちゃ面白かった。これガチの論文の方読みたいわ

ごく小さい頃は絶対的ピッチに敏感なのにまもなく相対的ピッチの差異に敏感になるとか、ハーモニーの逸脱に反応するようになるのが小学校就学前だとか、あげくは5歳には音楽的構文に従って音楽を処理するようになるだとか。

て、つまりは西洋的音楽に5歳にしてすっかり取り込まれることでもあるけど。

yamaha-mf.or.jp/onkenscope/onk

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