全く見当違いなことを誰かの言葉から勝手に感じ取って自分の殻に閉じ篭る人に対して、そうじゃないんだよと心をひらくような言葉を、自分はどうやったら選べるのだろうか。いや、そもそも言葉の意味や真意を汲み取る能力って、どのようにして培われるんだろうか。その先のこととして、どうやって互いに合意を感じ取るんだろうか。
みたいなことをぼーっと考えていたらこんな時間。出かけっか。
@sinovski 🤞すんなり信じられるような話しを聞いたらまゆにつばをつけたほうがいい。真実というものはそういうものなのだ。おうおうにして馬鹿みたいな話しが真実でありまともな話しが嘘である。何故なら本当に信じがたい狂気を信じさせるにはまともな話しが必要であるから。✌️とある文章です。↑そうじゃないんだよ、どうやってというとこにふとコレを馬鹿みたい思いました。すんません。カルトや真理教いろいろ浮かんできえた。茶にごしました。おやすみ💤
@Xy3brkyo1 いいとこついてると思います。
「自分の見えているものだけが真実だ、彼奴等は何も見えてない」という虚構を、いや、それはその人にとって真実だから本人にしたら虚構じゃないよね。じゃあ、真実でいいや。それは認めるからこちらの言うことも、受け入れてくれなくてもいいから、理解は示してくれないか?という話です。難しいのです。人は見たいものしか見ようとしないから。
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