自分が酷い目に遭ってるなんて思わないし、自分がなぜこうも生きにくいのかとも考えない。なぜなら世界とはそういうものだから。
あまねく世界は理不尽だ。
その前提に立てないものは、不必要に苦労を味わう。なぜ私ばかりがと世界を呪うからだ。呪う分だけ人より余分に不幸になる。だからまずは理不尽であることを受け入れる必要がある。それだけで不必要な苦労を減らせる。
あまねく世界は理不尽だ。
ありがたいことに、誰にも等しく理不尽だ。世界は優しいとさえ思う。
だが、理不尽の降りかかる割合は人によって様々だ。
不公平って?
なに言ってんの。理不尽なんだから不均衡だし不公平なのは当然起こりうるだろ。
あまねく世界は理不尽だ。
かといって諦観に支配されてもいけないし、厭世的になってもいけない。一瞬それが理不尽への効果的な対処法に思えてくるが逆だ。諦観に支配されるのも厭世的になるのも、理不尽を受け入れない行為の最たるものだと気づかねばならない。受け入れるとはそういうことではない。
ではいったいどうしたらよいのだ。
希望ということばに託してみてもいい。または抗ってみるのも受け入れるという行為のひとつだ。
一見矛盾しているように聞こえているこれらの受け入れ方を理解せぬものは、理不尽さに翻弄されて人生を終える。それもまた理不尽。
@sinovsk❣️
(よしみちbotにどうしたん)