@YoWatShiina >「性」に関しては、一般的には「求める側」「欲望する側」、そしてそれを行為に移す側、が主役的役割として認識されがちと思うのですが、主導権は本当にそうなのか?
これは、仕事を始めてわりと早くにこの辺のことを考える必要に迫られたような記憶があります。セックスにおいての「主導権」だとわれわれがぼんやり思っているものは、その正体は、結局なんなのか? とか。
自分の普段の仕事に関して言えば、たとえお客さんに「遠慮しないでしたいことしてね〜」と自由に振る舞ってもらっていても、主導権を持っているのがほぼわたしでありそれをお客さんも理解し自覚している、ということはまあまあ、かなりありますし…….。
>「求められる側」「欲望される側」が、その立場にいるからこそ主導権を持って(あるいは半々にshareして)いるという認識も成立するのでは?
すると思います。たとえば「嫌がる女性を無理やりに」という設定でやりたいです、と言われてそのような演技をしている最中に、「だいたいのペース配分を考えてストーリーを描き、自然な流れの中で展開を提案する」作業をしている……のようなことはあるし、完全に受け身になってひたすら喘ぎ声を発するのみ状態で声なき指示を目でやってたりも、よくあるし。限りなくありますね。
@YoWatShiina > 女性のセクシュアリティがもっと能動的に描かれている文化で育ったら、自分のセクシュアリティに対する向き合い方も違ったのではないか
わたしは80年代生まれですが、自分の育ってきた時代を振り返ってもまだまだ全然そうでした。特に中高生の時は九州の保守的な土地に暮らしていたので、なおのこと。
中学生くらいから、女性のセクシュアリティについて肯定的に描いている創作物が好きで、求めていたように思います。でもそれをピンポイントで探すことはすごく困難というか不可能だったので、偶然出会えたらラッキー方式しかとれなかった。
積極的に素敵なボーイフレンドを求める山田詠美、人間ではないものと交わろうとする川上弘美などを読んでいた記憶です(学校の図書室にあったので)。
自分にとって非常に大きかったと思うのは、母親が、若い頃に歓楽街の飲食店で働いていて、そこの常連客だったソープ嬢さんたちとの思い出を話してくれる機会があったことです。「明るくて可愛くて、常にウェイトレスに親切なお姉さんたち」として昔話に出てくるその人たちのイメージを持てていたことは、その後セックスワーカーになったときに自分を助けたのではないかなあと思います(なにか具体的な自覚があるわけではないのですが、そんな気がしています)。